首斬浅右衛門(読み)クビキリアサエモン

日本大百科全書(ニッポニカ) 「首斬浅右衛門」の意味・わかりやすい解説

首斬浅右衛門
くびきりあさえもん

江戸時代、代々、将軍家の刀の試斬(ためしぎ)りと、首斬役人にかわり罪人の首を切った山田浅右衛門の通称。刀剣鑑定にも長じた家筋であった。遠祖徳川家康の側室阿茶局(あちゃのつぼね)がいる。初代の浅右衛門を名のった貞武が寛文(かんぶん)(1661~73)の中ごろ据物(すえもの)斬り山野勘十郎に入門、師匠の没後、2代目吉時のころから将軍家の御様(おためし)御用となった。以来、吉継、吉寛、吉睦、吉昌、吉利と浅右衛門の名を継ぎ、試斬りを世襲した。また1881年(明治14)の斬首(ざんしゅ)廃止まで処刑の執刀役を勤めた。将軍家の御様は伝馬町牢(ろう)屋敷内で、処刑された庶民の死体に対し腰物奉行(こしのものぶぎょう)の立会いのもとに行った。ほかに、諸大名や旗本の刀も非公式に試した。死刑囚の斬首は、町方の首打同心の仕事であるが、刀の試斬りをしている関係で浅右衛門が行うに至った。7代目吉利は、吉田松陰をはじめ多数の勤王志士を斬首してとくに有名である。浅右衛門宅では労咳(ろうがい)(肺結核)の薬を銀2分で売っていたといわれ、川柳(せんりゅう)の「泥坊の胆玉(きもったま)で喰(く)ふ浅右衛門」はこの間の事情を伝えている。

稲垣史生

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android