香庄(読み)こうのしよう

日本歴史地名大系 「香庄」の解説

香庄
こうのしよう

香之庄このしよう付近に比定され、京都尊勝そんしよう(跡地は現京都市左京区)領。領家・預所大江氏、のち山城醍醐寺三宝さんぼう院へ移る。長治元年(一一〇四)七月二〇日の大江通国譲状(早稲田大学所蔵文書、以下断らない限り同文書)に「愛智郡御香庄」とみえ、大蔵大輔通国は相伝の所領である当庄を子息福智丸(通盛)に譲っている。この年当庄は通国から、堀河天皇によって創建されてまもない京都尊勝寺へ寄進され、寄人二五人の雑役本田二六町などを免除するとの宣旨を受けた。しかし国司平時範がこれを履行しなかったため、寄人の雑役は免除されず、本田も一六町が免除されたにすぎなかった。このため香三〇石を納めるのみで、雑器役はつとめられなかった(以上、天永三年四月一七日大江通盛処分状など)。こののち領家職・預所職は、通盛―通光(通盛の子)―尼尊妙(通光の女子伊豆前司上)―藤原氏女(尊妙娘冷泉局・尼学蓮房)養子中納言大僧都尊浄(本名静誉)―兵衛督局(源氏・本名尊勝)―阿生(あさ・法名正智)―中納言律師経賢(童名小法師・尊勝養子)―三宝院僧正賢助(経賢弟子)―太政禅師成助(賢助弟子)へと譲られ、成助から清福丸(僧実舜)―兵衛督阿闍梨禅澄に売られ、応安六年(一三七三)禅澄から禅誉(童名遠寿丸)へ、そして応永一五年(一四〇八)万寿丸へと相伝されたという(香庄相伝系図)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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