日本歴史地名大系 「香焼島炭鉱跡」の解説 香焼島炭鉱跡こうやぎしまたんこうあと 長崎県:西彼杵郡香焼町島村香焼島炭鉱跡[現在地名]香焼町 栗ノ浦・安保・恵里・丹馬など香焼島にあった炭鉱の跡。早くから石炭の存在が知られていたとされ、恵里(えり)・栗(くり)ノ浦(うら)・安保(あぼ)・丹馬(たんま)などでは現在でも石炭の露頭があり、薪などとともに利用していたようである。のち素人ながら石炭稼を行い、元禄一三年(一七〇〇)当時は安保・辰(たつ)ノ口(くち)・尾(お)ノ江(え)で採掘があったという(香焼村郷土史)。天保年間(一八三〇―四四)山下武吉が個人経営の炭坑(横坑)を開始、専業的な採炭であったとされるが、弘化二年(一八四五)頃坑内に海水が浸水、廃坑になったという。嘉永五年(一八五二)当時は戸数一八七のうち炭鉱稼九(「田畑名寄帳」香焼町役場蔵)。安政二年(一八五五)石炭一千四四〇万斤が長崎を経て海外に輸出され、文久元年(一八六一)深堀鍋島家が島内を「御上山」として許可なく採掘するのを禁じ、炭鉱を御上山と称するようになったという(香焼町郷土誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by