杉並区(読み)スギナミク

デジタル大辞泉 「杉並区」の意味・読み・例文・類語

すぎなみ‐く【杉並区】

杉並

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「杉並区」の解説

杉並区
すぎなみく

面積:三四・〇二平方キロ

都の中央部、二三区のうちで西部に位置し、東は中野区・渋谷区、南は世田谷区、北は練馬区、西は武蔵野市・三鷹市に接する。武蔵野台地に立地し、中央部を善福寺ぜんぷくじ池に発する善福寺川が南東に蛇行、その北側を妙正寺みようしようじ池に発する妙正寺川が東流し、さらに南部を神田川が東流する。

〔原始・古代〕

区内を流れる河川流域には後期旧石器時代から奈良・平安時代までの集落跡および遺物散布地約一八〇ヵ所が知られている。後期旧石器時代では武蔵野台地最古の文化層から局部磨製石斧を出土した高井戸東たかいどひがし遺跡群・下高井戸塚山しもたかいどつかやま遺跡があり、ナイフ形石器を主体とする遺跡では川南かわみなみ遺跡・地蔵坂じぞうざか遺跡・東原ひがしはら遺跡などがある。縄文時代では関東地方早期前半の撚糸文系井草式土器を出土した標式遺跡の井草いぐさ遺跡が特筆される。一方、近年南部を流れる神田川流域では向ノ原むかいのはら遺跡B地点遺跡・東原遺跡前山まえやま遺跡・蛇場美じやばみ遺跡・鎌倉橋上かまくらばしうえB地点遺跡などで草創期に属する隆起線文系・爪形文系土器、有舌尖頭器、竪穴住居などが相次いで検出されている。また都心部では数少ない環状集落の下高井戸塚山遺跡は遺跡公園として保存・展示されている。弥生時代後期では三基の方形周溝墓が検出された大宮おおみや遺跡、環濠集落の環濠の一部が検出された方南峰ほうなんみね済美台せいびだい・鎌倉橋上の三遺跡がある。古墳時代後期の集落は弥生時代後期の集落と重なる場合が多く、前述した遺跡のほかには松ノ木まつのき遺跡・釜寺東かまでらひがし遺跡・日性寺につしようじ遺跡などがある。

律令時代になると、当区域は武蔵国多摩郡に所属。区内の和田を「和名抄」所載の海田あまた郷の遺称地名とみる説があるが、真偽未詳。奈良時代の東海道が「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条のあり方と異なり、武蔵国府(府中市)から東進し下総国に向かっていたとみて、「続日本紀」神護景雲二年(七六八)三月一日条にみえる乗潴あまぬま駅を区内天沼に比定する説がある。

〔中世〕

大宮八幡宮を核として江戸氏の庶流阿佐ヶ谷氏が勢力を広げた。同宮の社伝によると源頼義が前九年の役の帰途、阿佐ヶ谷あさがやの地に勧請し、後三年の役にも源義家が整備したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杉並区」の意味・わかりやすい解説

杉並〔区〕
すぎなみ

東京都 23特別区の一つ。 1932年区制。 1947年特別区制。西は三鷹,武蔵野両市に接する。武蔵野台地上にあり,JR中央線が中央を東西に通る。甲州街道 (国道 20号線) ,青梅街道五日市街道沿いの開発農村として発達した。地名は江戸時代の領主岡部氏が青梅街道沿いに杉並木をつくり,領地の境としたことに由来するといわれる。 1889年甲武鉄道開通後,沿線の宅地化が進み,北部に西武鉄道新宿線,南部に京王帝都電鉄井の頭線,東部に営団地下鉄が開通してからはさらに住宅地として発展した。学校が多く,住宅,文教地区の性格が強い。南部を首都高速4号新宿線が通り,永福インターチェンジがある。高井戸インターチェンジで中央自動車道に接続する。面積 34.06km2。人口 59万1108(2020)。

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