日本歴史地名大系 「馬門村」の解説
馬門村
まかどむら
通称馬門。
また雑書の慶安三年(一六五〇)五月二三日条には「馬門御町四日市相立候様ニと当春八戸御鷹場ニおいて代官助右衛門ニ被仰付趣、此上不立候ニ付而ハ追而言上次第近郷へ銭おろし可被仰付由御諚之由、舟越伊助申上ニ付て、百文五戸、五十文七戸、百五十文野辺地、百文横浜、五十文田名部へ相渡、毎市一人一文宛持参助右衛門ニ相渡候様ニと伊助ニ渡」とあり、四日の市立てが行われたが、振るわず市勢圏の野辺地などで振銭が行われた。弘前藩との藩境に位置する村であったため、街道筋には境目番所が設けられて通行人や出入物資の取締に当たった。
馬門村
まかどむら
馬門村
まかどむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報