馬関田城跡(読み)まんがたじようあと

日本歴史地名大系 「馬関田城跡」の解説

馬関田城跡
まんがたじようあと

[現在地名]えびの市西川北

南北朝中期、一三七〇年前後に合戦場として史料にみえる城。城名がみえるのは禰寝文書の八月二一日および八月二二日付の大隅国禰寝久清宛の書状計六通で、いずれも正平二三年(一三六八)から同二五年のものと推定される。うち八月二一日付の肥後球磨くま郡小田加賀守房成の書状写には「畠山三郎殿、以肥州(菊池武光)内儀下向候間、当郡人々各申談、去十二日打越真幸院、同十六日氏久手者籠置候馬関田城ニ進陣、数ケ所取候了」などとあり、翌二二日付の球磨郡多良木頼仲、相良前頼、多良木頼重、球磨郡橘前佐渡守公頼、同郡永里周防介隆能の計五通の書状写にもほぼ同様の内容がみられる。これらにより、応安四年(一三七一)今川了俊の九州下向以前、九州宮方の菊池武光意向で畠山三郎が大将として南九州に下向し、そのもとで肥後人吉庄の相良前頼を中心に南九州四ヵ国の国人一揆が結成され、島津氏に対抗したとする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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