高住村(読み)たかずみむら

日本歴史地名大系 「高住村」の解説

高住村
たかずみむら

[現在地名]鳥取市高住

倉見くらみ村の南西湖山こやま池南岸にある。湖山池中のあお島・ねこ島は当村地内に属する。集落湖岸にあり南西に細長い谷が延びる。天正八年(一五八〇)一〇月二八日付の吉川元春裏判のある田公高次所領目録(岩国徴古館蔵)惣領又三郎領地分に「高寿み 弐百五拾石」とある。

藩政期の拝領高は五六三石余。享保一一年(一七二六)以降役米一石三斗を課された(在方諸事控)。寛保二年(一七四二)の高草郡村々下札帳写(賀露神社文書)によると生高六三四石余、本免五ツ七分、川役米四石一斗九升・役米三石三斗二升(二石二升と一石三斗の二筆)・藪運上銀四匁を課されていた。「因幡志」には川役一九俵一斗二升とあり、湖水生産として鯉・鯔・鰻・蝦・亀などがあり水鳥が多いと記される。文政一二年(一八二九)の高草郡中構下札目録帳(奥田家文書)では朱高六一四石余・生高六四七石余、川役・藪役は寛保二年と変化がないが役米が二石二升となっている。


高住村
たかずみむら

[現在地名]岩美町高住

岩常いわつね村の南に位置し、小田おだ川右岸に集落がある。支村に尾崎おさきがあった(因幡志)。拝領高は一九三石余、本免は四ツ七分。藪役銀四匁五分を課されており(藩史)、東館家家臣大塚氏、前川氏・遠藤氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」によれば家数二五。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳では生高二六一石余、竈数一九。


高住村
たかすみむら

[現在地名]上越市高住

中桑取なかくわどり村の有間ありま川対岸に位置。正保国絵図によれば高一五八石余。天和三年郷帳では一一二石六斗余。日之宮があり、横山よこやま村社人岩片右内支配。洞泉とうせん寺のほか地蔵堂・阿弥陀堂がある(頸城郡誌稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android