高山紀斎(読み)タカヤマ キサイ

20世紀日本人名事典 「高山紀斎」の解説

高山 紀斎
タカヤマ キサイ

明治・大正期の歯科医 東京歯科大学創立者。



生年
嘉永3年12月12日(1851年)

没年
昭和8(1933)年2月8日

出生地
備前国岡山(岡山県)

経歴
代々金川陣屋を預かる備前藩家老・日置氏に仕える高山家の作廻方・惣右衛門紀清の長男に生まれる。藩校に入り文武を学ぶと共に、真心影流の達人・阿部右源次に剣術を、甲州流軍学者・渡辺儀兵衛に軍学を学んだ。明治元年幕府追討軍の藩兵として東北地方に出兵し帰国。3年英学教授補に任ぜられ、慶応義塾に入り、岡田摂蔵(適塾門人)に従学を命じられた。5年私費で米国に渡り、サンフランシスコの歯科医ブァン・デンバーグに歯の治療を受けたのを機に、歯科医学を学び歯科医術開業試験に合格。11年帰国し医術開業試験に合格、同年東京銀座で歯科医を開業。14年日本初の近代歯科専門書「保歯新論」を出版し注目される。20年宮中の侍医局勤務となる。23年自宅の隣に高山歯科医学院(のちの東京歯科大学)を創設して校長となり、歯科医の養成を始め、また多数の歯科専門書や講義録を出版した。26年シカゴ市で開催の万国博覧会評議員として臨み、同市に開催の万国歯科医学会に参列、のち欧州を巡歴した。32年弟子の講師血脇守之助に学院の一切を譲り、血脇は東京歯科医学院と改称した。譲渡後は専ら診療に従い、一方、35〜39年大日本歯科医会会長を務めたほか、各種名誉職を歴任し、大正12年引退した。ほかの著書に「歯牙解剖図」「歯科薬物摘要」「衛生保歯問答」「歯科冶金学」「歯科手術論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高山紀斎」の解説

高山紀斎 たかやま-きさい

1851*-1933 明治-大正時代の歯科医。
嘉永(かえい)3年12月12日生まれ。明治5年アメリカにわたり歯科医学をまなぶ。11年帰国し東京銀座で開業。23年高山歯科医学院(現東京歯大)を創立して校長となった。昭和8年2月5日死去。84歳。備前(岡山県)出身著作に「保歯新論」「歯牙解剖図」「歯科薬物摘要」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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