朝日日本歴史人物事典 「高島四郎兵衛」の解説
高島四郎兵衛(初代)
生年:生年不詳
江戸初期の長崎頭人,海外貿易家。名は茂春。子孫は代々長崎町年寄を勤める。近江源氏の出身。先祖の佐々木左衛門次郎高信のとき初めて高島氏を称す。祖父河内守頼春の代には近江国高島荘に住んでいたが,父八郎兵衛氏春の代に肥前藤津郡を経て天正2(1574)年長崎に移住。のち長崎頭人になる。以後,四郎兵衛を世襲名とし,その子2代茂定は長崎町年寄になり,その後代に町年寄を勤める。文化・文政ごろの茂紀のとき長崎会所調役になり,唐蘭商法の改正を担当。唐蘭貿易にも従事し,外国商人への金融にも参加する。長崎大村町に住み,茂紀の代には高70俵5人扶持,受用銀41貫500目,屋敷地1024坪を擁した。<参考文献>『長崎町年寄発端由緒書』『長崎叢書』
(武野要子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報