デジタル大辞泉
「伊庭孝」の意味・読み・例文・類語
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いば‐たかし【伊庭孝】
- 音楽評論家、演出家。新劇運動、浅草オペラなどに参加、日本歌劇運動の先駆者。その功績により伊庭歌劇賞が制定された。明治二〇~昭和一二年(一八八七‐一九三七)
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伊庭 孝
イバ タカシ
- 職業
- 音楽評論家 演出家 劇作家 俳優
- 生年月日
- 明治20年 12月1日
- 出生地
- 東京
- 学歴
- 同志社大学神学部中退
- 経歴
- 同志社大学中退後、警醒社の洋書係となる。明治45年「演劇評論」を創刊し、また近代劇協会を創立。演出家、劇作家として活躍し、新劇社、PM公演社も主宰するなど、草創期の新劇運動に貢献する。大正6年には歌舞劇協会を組織し、浅草オペラの発展に寄与する。また12年頃からは楽壇に進出、昭和2年近衛秀麿らとラジオで歌劇を放送し、解説にあたるなど、オペラ運動の先駆者となる。また、邦楽の理論化にもつくした。著書に「音楽読本」「日本音楽概論」「雨安居荘雑筆」などがある。
- 没年月日
- 昭和12年 2月25日 (1937年)
- 家族
- 父=伊庭 想太郎(星享の暗殺者)
- 伝記
- 日本の芸術論―伝統と近代ブラリ浅草青春譜―高田保 劇作家への道 神林 恒道 編岡村 青 著(発行元 ミネルヴァ書房筑波書林,茨城図書〔発売〕 ’00’97発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
伊庭 孝
イバ タカシ
大正・昭和期の音楽評論家,演出家,劇作家,俳優
- 生年
- 明治20(1887)年12月1日
- 没年
- 昭和12(1937)年2月25日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 同志社大学神学部中退
- 経歴
- 同志社大学中退後、警醒社の洋書係となる。明治45年「演劇評論」を創刊し、また近代劇協会を創立。演出家、劇作家として活躍し、新劇社、PM公演社も主宰するなど、草創期の新劇運動に貢献する。大正6年には歌舞劇協会を組織し、浅草オペラの発展に寄与する。また12年頃からは楽壇に進出、昭和2年近衛秀麿らとラジオで歌劇を放送し、解説にあたるなど、オペラ運動の先駆者となる。また、邦楽の理論化にもつくした。著書に「音楽読本」「日本音楽概論」「雨安居荘雑筆」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
伊庭孝
いばたかし
(1887―1937)
音楽評論家、演出家。東京生まれ。同志社大学神学部中退。初めは劇作家としてたち、1912年(大正1)近代劇協会をおこした。16年歌舞劇協会を結成。翌年2月、浅草常盤(ときわ)座で自作の『女軍出征』を上演して、関東大震災まで人気を集めたいわゆる浅草オペラの口火を切り、日本のオペラ界の発展に貢献した。関東大震災(1923)以後は評論、著述活動に中心を置き、多くの著書、訳書などを残した。そのオペラへの業績を記念して「伊庭歌劇賞」(10回、1948~57)が設けられた。
[寺崎裕則]
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伊庭孝
いばたかし
[生]1887.12.1. 東京
[没]1937.2.25. 東京
音楽評論家,歌劇演出および脚本家。同志社大学中退後上京,1912年近代劇協会の創立に参加,17年高木徳子,高田雅夫らと歌舞劇協会を組織して浅草オペラの確立に尽力。のちに関西で新星歌劇団を主宰,音楽雑誌『白眉』を編集するなど歌劇の普及に尽力。ほかに日本の古典音楽の研究も行う。主著『日本音楽概論』。編集レコード『日本音楽史音盤集』など。なお,その功績を記念して 48年伊庭歌劇賞が設けられた。
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伊庭孝 いば-たかし
1887-1937 大正-昭和時代前期の音楽評論家,演出家。
明治20年12月1日生まれ。伊庭想太郎の養子。大正元年上山草人らと近代劇協会をおこす。5年舞踊家高木徳子と浅草オペラをはじめ,ついでラジオ放送での音楽評論や演出,翻訳に活躍した。昭和12年2月25日死去。51歳。東京出身。同志社大中退。著作に「日本音楽概論」など。
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伊庭 孝 (いば たかし)
生年月日:1887年12月1日
大正時代;昭和時代の演出家;劇作家
1937年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の伊庭孝の言及
【近代劇協会】より
…新劇団。文芸協会を退会した上山草人(かみやまそうじん)・山川浦路(うらじ)夫妻が,伊庭孝(いばたかし)(1887‐1937),柴田勝衛,杉村敏夫らの俳優,演出家とともに,1912年5月に結成,坪内逍遥と森鷗外が顧問となった。同年10月有楽座でイプセン《ヘッダ・ガブラー》を旗揚げにとりあげ,主演女優山川浦路のヘッダが好評を博した。…
※「伊庭孝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」