デジタル大辞泉 「ヒステリー」の意味・読み・例文・類語
ヒステリー(〈ドイツ〉Hysterie)
2 感情を統御できず、激しい興奮・怒り・悲しみなどをむき出しにした状態。ヒス。「
神経症の一類型。古代から注目された神経症的表現であり,すでにヒッポクラテスは本症について正確な症状記載を行っている。英語hysteria,ドイツ語Hysterie,フランス語hystérieなどの語源は古代ギリシア語のhysteraすなわち〈子宮〉である。前5~前4世紀ごろの古代ギリシア人は,子宮が体内を動きまわるためにヒステリーが起こると考えた。ヒッポクラテスもプラトンもヒステリーの病因としてこの考えを踏襲している。一方,中国の古医書,張仲景(2世紀末~3世紀初めころ?)の作とされている《金匱要略(きんきようりやく)》も,ヒステリーを婦人病とみなしこれを〈臓躁〉と称している。日本における近代精神医学の建設者である呉秀三がヒステリーを〈臓躁病〉と訳したのは,この用語を採用したものである。
ヨーロッパでは15~17世紀を中心として悪魔学(鬼神論)が盛行し,ヒステリーの症状は悪魔や魔女のしわざとされた。したがってヒステリー者の一部は,他の精神病者とともに〈魔女狩り〉の対象とされた。子宮遊走説ならびに魔女説という荒唐な推測に基づいて,一方では子宮のマッサージや子宮剔出(てきしゆつ),他方では魔術的治療が行われた時代があったわけである。子宮説に対して脳に問題があるとはじめてみなしたのは,ルポアC.Lepois(1618)であり,情緒因子が一次的だと考えたのはブローディB.C.Brodie(1837)である。しかし,ヒステリーに対してはじめて根拠のある理論を提出したのは,J.M.シャルコー(1887),P.ジャネ(1889),J.ブロイアー(1895),S.フロイト(1895)である。そして彼らのなかで,心理的要因をもっとも重視したのは,ブロイアーとフロイトであり,二人の共著になる《ヒステリー研究》も刊行されている。なお,彼らは一様に治療としては催眠術を用いたが,催眠治療の先駆者はF.A.メスマーである。このうちフロイトだけがやがて催眠術をやめて周知のように自由連想法を用いるようになった。
このようにヒステリーは,おびただしい偏見の対象となってきたと同時に,科学的神経症論の発展に大きく寄与した病いでもある。近年では,従来の偏見と概念のあいまいさとをなくすことをめざして〈ヒステリー〉という病名を解消しようとする再三の試みがある。たとえば,1980年の《アメリカ精神医学会障害診断・統計用語集》第3版(DSM Ⅲ)では,ヒステリーの機能的(非器質的)身体症状は〈転換障害conversion disorder〉,ヒステリーの精神症状は〈解離障害dissociative disorder〉の中へ組み入れられ,ヒステリー性人格は〈演技的人格〉といいかえられている。
ヒステリーの症状は,心的葛藤が運動や知覚の障害といった目だつ身体症状に〈転換conversion〉されるところにおもな特徴がある。この転換はもっとも無意識的・自動的に行われるので,この点,詐(仮)病とは異なる。フロイトによれば,意識からは抑圧された願望が,身体的機能障碍へと転換されたものであり,したがって症状は象徴的な意味をもつとともに代理満足の意味をもつ。いずれにせよヒステリーの症状は,それによって孤立無援の状況から脱却し,他者の支持を確保するという当人は意識しないとしても合目的的な意味をもふくんでいる。これが〈疾患への逃避flight into disease〉ともいわれたゆえんである。運動系の症状としては,立てない,歩けない,四肢の麻痺,痙攣(けいれん),ふるえ,声が出ない,飲みこめない,嘔吐など,知覚系の症状としては,皮膚知覚の鈍麻,皮膚知覚の麻痺,痛覚過敏,聞こえない,見えないといった多彩な機能障碍が起こる。シャルコーの時代には,彼みずから4相に分けて記述した典型的なヒステリー性の痙攣がしばしば観察された。しかし最近では痙攣をはじめとする劇的な症状は減り,吐き気,心悸亢進,呼吸困難感,過呼吸,しゃっくり,めまいといったあまり劇的ではなくしかも自律神経領域に発現する症状が増えてきている。精神症状としては,激しい症状を呈しているにもかかわらず平然とした様子(シャルコーのいう〈満ちたりた無関心〉)もうかがわれることのほか,健忘,もうろう状態,遁走,多重人格がみられることがある。これらは,解離反応に属する。〈解離〉という概念は,ジャネに由来し,彼は,人格の統合の解離が,ヒステリーの諸状態を結果するとみたのである。ヒステリー人格とは,感情表出の劇的に激しい,些細なことに過度の反応をする依存的で要求がましいパーソナリティをさし,病いとしてのヒステリーとは直接の関係はない。しかしヒステリーの基盤に,このような人格傾向の認められることはかなりある。
ヒステリーの成立には,他の神経症と同じく素質と環境と誘因の3条件が関与するが,精神分析の見方からは,伝統的にエディプス葛藤(エディプス・コンプレクス)が重視されてきた。しかし近ごろではもっと早期にさかのぼる口唇期の葛藤を重視する立場も現れた。ヒステリー症状もヒステリー性の人格特徴の発揮も,抑うつに陥らぬための防衛だとする見方もある。これも口唇期水準の葛藤の存在を示唆する見方である。E.クレッチマーは,ヒステリーにかかりやすい素因として体質的発育の遅れや不均衡を重視した。彼はこのような体質者が,エディプス葛藤を長く持ち続けるのだと推測した。なおヒステリーの症状は,脳の器質性疾患の場合の症状としばしばまぎらわしく,しかも既存のさまざまな器質疾患の下地の上にヒステリー疾状が重なることもある。治療としては精神療法,それも主として精神分析的な精神療法の対象である。森田療法は,本症は治療の対象からは伝統的に除外している。
→神経症
執筆者:下坂 幸三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
語源は子宮を意味するギリシア語で、ヒポクラテスの時代に端を発し、当時は子宮の病という意味をもっていた。近代医学的領域の一つの概念として初めて提唱したのは、フランスの神経病学者ブリッケPaul Briquet(1796―1881)で、ブリッケ病ともよばれた。ブリッケの記載した特徴は、(1)女性に多くみられること、(2)発病は多くは20歳、ほとんどが30歳以前であること、(3)経過が一定で予測もできること、(4)いろいろな痛み、不安、胃腸症状を訴えること、(5)しばしば入院し、また手術をたびたび受けること、などであった。その後、フランスの神経病学者シャルコーは、このブリッケの記載に注目し、催眠法を使ってヒステリー研究を行い、ヒステリー患者のみが催眠にかかり、それは脳にある種の脆弱(ぜいじゃく)性があるからであると主張した。つまり、ヒステリーの素質論である。今日ではそれほど受け入れられてはいない。ヒステリーの理解に決定的な進歩をもたらしたのは、オーストリアの生理学者で神経科医のブロイエルJosef Breuer(1842―1925)の催眠誘導下でのカタルシス療法(感情の発散を伴った談話療法)や、それに続くフロイトの精神分析の確立であった。すなわち、ヒステリーは精神的葛藤(かっとう)が処理できず、無意識領域に抑圧され、その際の精神的エネルギーが形を変えて身体症状(転換ヒステリーあるいは転換性障害)や解離症状(解離ヒステリーあるいは解離性障害)となって現れたものであると解釈されるに至った。解離症状とは心理機能の一部が他と連絡を断たれて独自の活動を営む現象である。そして、フロイトによると、ヒステリーの病因は幼少時の両親と子供の三角関係、つまりエディプス・コンプレックスに由来すると解釈された。もっとも、その後の精神分析の研究によると、エディプス・コンプレックスの生ずるよりずっと以前の人生早期の母子関係に原因があるという主張が現れている。
しかし、精神分析以外の立場の人もいて、ヒステリーの概念が完全に統一されているわけではない。ヒステリーという用語は神経症においてばかりではなく、「ヒステリー性格」や「ヒステリー精神病」などという使い方がこれまでされていて、概念の明確化が困難であるからである。また、ヒステリーの発生頻度や病像が文化や社会的条件の変化の影響を受けることも、ヒステリーの理解を困難にしている。戦争中や社会動乱下では、けいれん、失立、失歩など、目だつ身体症状が現れるが、今日の日本のような平和時では疼痛(とうつう)などが多い。前者を古典的ヒステリーとよんでいる。解離症状としては解離性健忘、解離性遁走(とんそう)(家庭または普段の職場から離れて放浪し、過去を想起できなくなる)、解離性同一性障害(いわゆる多重人格障害)、離人症などがあるが、最近では若い女性を中心に解離性同一性障害と診断される例が増加している。
ヒステリーは女性だけの病気というのは誤解であり、戦争中、軍隊で多くのヒステリーが発生した。また、ヒステリー性格者のみがヒステリーにかかるというのも正しくない。ヒステリー性格の特徴は、(1)演技的で人の関心を買う行動、(2)自己中心性、(3)情緒不安定性、(4)誘惑・魅惑的、(5)言語の誇張、(6)依存性、などがあげられる。つまり、自己顕示性が強い性格である。なお、現在、精神医学領域ではヒステリー性格という用語をやめて、演技性人格障害とよんでいる。
[西園昌久]
『エティエンヌ・トリヤ著、安田一郎・横倉れい訳『ヒステリーの歴史』(1998・青土社)』▽『J・D・ナシオ著、姉歯一彦訳『ヒステリー――精神分析の申し子』(1998・青土社)』
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…本名ベルタ・パッペンハイムBertha Pappenheim。彼女の名は,S.フロイトの精神分析療法の創始に関係した古典的ヒステリー患者として,忘れることができない。彼女は父親の看病中に,四肢麻痺や視力障害など多彩な症状を示すようになった。…
…S.フロイトによって,《ヒステリー研究》(1895)中で報告された症例の一つ。エミーは,中部ドイツ出身の40歳になる未亡人であったが,ときおり襲う譫妄(せんもう)状態と夢遊状態,四肢の疼痛や知覚脱失,どもりや舌打ち,蟇(がま)恐怖と雷恐怖などの症状に悩んでいた。…
…S.フロイトによって《ヒステリー研究》(1895)中で報告された症例の一つで,24歳になるハンガリーの地主の娘。主訴は両下肢の疼痛と歩行障害。…
…S.フロイトによって,《ヒステリー研究》(1895)中で報告された症例の一つ。フロイトが夏の旅行中,アルプス山中の宿で会った18歳の少女で,吐きけや頭重感などで苦しんでいた。…
…仮性痴呆ともいう。ヒステリー性もうろう状態で,ぼんやりして知能が低いかのように見えたり,わざとらしい間違った答えをしたり(的はずれ応答),子どもっぽい態度を示したり(小児症)すること。ドイツの精神科医ガンザーS.Ganserが未決拘禁状態の囚人について報告した(1904)。…
… 飽くことを知らぬものとして,陰府(よみ)や火などとともに不妊の子宮が挙げられるが(旧約聖書《箴言》30:16),プラトンも,長く子を得ないと,子宮は苦しんで五体をさまよい,呼吸をとめて全身を苦悩の頂点に陥れ,あらゆる病を引き起こすと述べている(《ティマイオス》)。ギリシア語のヒュステラに由来するヒステリーという語の原義はこのような事態であり,J.M.シャルコーが男のヒステリーを語るまで,ヒステリーはもっぱら女性の病とされてきた。ヒッポクラテスはヒステリーにくしゃみが有効であるという。…
…疲労感,注意集中困難,焦燥感,記憶力低下,精神作業能力の低下などの精神症状と,不眠,頭痛,食欲不振,振戦などの身体症状からなる。(7)ヒステリー 無意識の葛藤や欲求不満が症状形成により解消されるという疾病逃避の機制をもつ。患者は症状形成により不安から逃れることができると同時に,周囲の同情や関心を得ることができる。…
…精神の異常ないし病的状態は人類の歴史とともに古い。古代ギリシア・ローマの時代にはすでに,〈神聖病〉と呼ばれた癲癇(てんかん),黒胆汁の過剰によると説明されたメランコリア,狂乱状態を示すマニア,子宮(ヒュステラ)が体内で動き回る婦人病としてのヒステリーなどが知られていた。これらが〈精神病〉という総称のもとに体系化されるのは,精神医学がやっと自立の活動をみせる19世紀になってからで,〈精神病Psychose〉の語も1845年にウィーン大学のフォイヒタースレーベンE.von Feuchterslebenがその著《心の医学の教科書》で初めて使ったとされる。…
…S.フロイトによって1901年に書かれ,05年に《あるヒステリー患者の分析の断片》と題して発表された症例報告中の患者の名。ドラは幼時から夜尿,呼吸困難,偏頭痛,神経性の咳などに悩んできたが,18歳のときに失声,父と争った後の失神発作などが激しくなって,フロイトの治療を受けるに至った。…
…S.フロイトとJ.ブロイアーによる共著として,1895年に刊行された著作。ブロイアーによるアンナ・Oの症例,フロイトによる四つの症例(エミー・フォン・N,エリーザベト・フォン・R,カタリーナ,ルーシー・R)と〈ヒステリーの心理療法〉の論文,両者による〈ヒステリー現象の心的機構〉の論文などからなる。ブロイアーは催眠によってヒステリーの治療をしており,フロイトも初めその影響下にあった。…
※「ヒステリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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