鬼首村
おにこうべむら
[現在地名]鳴子町鬼首
鳴子村の北、江合川(荒雄川)最上流の山間部にある。近世まで栗原郡に属し、「安永風土記」では同郡一迫鬼首村とある。村域の中央に鬼首火山の中央火口丘荒雄岳(九八四・二メートル)や山王森(九三八・四メートル)などの円錐峰がそびえ、周囲は西境に禿岳(小鏑山、一二六一・七メートル)、北境に須金岳(一二五三メートル)・山猫森(一〇三四・四メートル)、南境に花淵山(九八四・九メートル)・大柴山(一〇八三・二メートル)などの外輪山が連なる。荒雄岳を水源とする江合川は荒雄岳の周囲を東辺、北辺、西辺とめぐるように流れ、流域に環状盆地を形成、集落が点在する。西は出羽国最上郡黒沢村(現山形県最上郡最上町)、北は同国雄勝郡役内村(現秋田県雄勝郡雄勝町)、東は栗原郡花山村(現花山村)。山嶺によって周囲と隔絶された当地には落人伝説も残り、花山村へは国見峠、黒沢村へは花立峠、役内村へは鬼首峠など、峠越えで他郷とつながっていた。しかし花立峠・鬼首峠は国境に位置し、古くから軍事・交通の要衝として重視され、近世、両峠越えの道が分岐する八幡原には藩境警固の目的で鬼首番所が置かれた。「陸奥話記」によれば永承六年(一〇五一)陸奥国司藤原登任は秋田城介平重成を先鋒に「鬼切部」で俘囚の長安倍頼時と戦って大敗した。鬼切部は当地のことと思われ、この戦いは前九年の役の前哨戦といわれる。前掲風土記には古館として高畑の鬼切辺城があげられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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