鮭延城跡(読み)さけのべじようあと

日本歴史地名大系 「鮭延城跡」の解説

鮭延城跡
さけのべじようあと

[現在地名]真室川町内町

うち町東方の台地上にある連郭式の山城で、標高一二四メートル、比高は五〇メートル。真室城とも称された。西方は南流する真室川に臨み三方を沢で仕切り、東方には数条の空濠がみられる。主郭は台地頂部の平坦地で、本丸は東西七七間・南北八八間、二の丸は東西七七間・南北七二間(新庄古老覚書)。戦国期、当城のある鮭延郷は出羽仙北せんぼくの小野寺氏、庄内の武藤氏や最上氏らの抗争の地であった。鮭延越前系図(正源寺覚書)などによれば出羽横手城主小野寺氏は客将佐々木貞綱を鮭延郷に配したという。この時期については大永年間(一五二一―二八)とする説、天文年間(一五三二―五五)とする説など諸説ある。当初貞綱は岩鼻いわばな(現戸沢村)を居館としたともいわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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