鳥坂郷(読み)とさかごう

日本歴史地名大系 「鳥坂郷」の解説

鳥坂郷
とさかごう

和名抄」にみえるが諸本ともに訓はない。郷域は現柏原かしわら市の太平寺たいへいじ安堂あんどうおよび高井田たかいだとする説が有力である。大和川と石川の合流点にあたり、また大和へ通ずる竜田たつた道が、生駒山地の西麓を南北に通ずる道(のちの東高野街道)と交わり、大和川を渡って大津道に連絡する地点でもある。このように交通の要地であるので、大和川の対岸船橋ふなはし国府こう道明寺どうみようじ(現藤井寺市)の地域と並んで早くから文化が発達したと思われる。


鳥坂郷
とりさかごう

戦国期の史料にみえる郷。ともえ川中流左岸の現鳥坂辺りに比定される。天文七年(一五三八)五月二二日の今川義元判物(臨済寺文書)に「鳥坂之内壱所安西三郎兵衛分田畠山屋敷」とあり、臨済寺殿(今川氏輝)追善供養のために、当地の諸役諸公事を停止し「不入之地」として臨済りんざい(現静岡市)に寄進されている。同一八年八月一一日の駿府浅間社社役目録(村岡大夫文書)によると、当郷が青山放生会流鏑馬郷役として一貫一〇〇文を負担している。同二〇年七月一五日当地の一所、年貢米は三〇石余、代六貫九〇八文の地が同寺に寄進されている(「今川義元判物写」臨済寺文書)。弘治二年(一五五六)一〇月二四日当地にある平沢へいたく(現静岡市)観音仏供田が同寺に安堵されており(「今川義元判物」平沢寺文書)、永禄三年(一五六〇)には今川氏真によって再度安堵されている(同年六月二九日「今川氏真判物写」判物証文写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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