鳥坂村(読み)とりさかむら

日本歴史地名大系 「鳥坂村」の解説

鳥坂村
とりさかむら

[現在地名]清水市鳥坂

現清水市のうち旧庵原郡域の南西端に位置し、ともえ川中流左岸、瀬名せな丘陵梶原かじわら(三〇四メートル)南麓を占める。集落梶原山を背にした山裾に発達。北東大内おおうち村、西は瀬名村、南は瀬名川せながわ(現静岡市)。地内をきた街道が通る。中世鳥坂郷の遺称地。

元和三年(一六一七)の遠州浜松城主水野重仲の知行目録に村名がみえ、高四四八石余。寛永九年(一六三二)の徳川忠長改易後は幕府領、明暦二年(一六五六)ないし元禄一一年(一六九八)から旗本滝脇松平領、のち小島藩滝脇松平領となり、同藩領で幕末に至る(「寛政重修諸家譜」・明治四年旧桜井県事蹟取調書など)


鳥坂村
とさかむら

[現在地名]塩田町大字谷所たにどころ字鳥坂

現塩田町の南部に位置する。天正五年(一五七七)竜造寺隆信・政家父子から嬉野元可が知行を許された書状中に「鳥坂村」とある(鹿島市の→浅浦村

嬉野家文書中に、元可が元和二年(一六一六)一二月東嶋市佐にあてた書状があり、これによれば本領であった嬉野うれしの村の拝領を断り、かつて牢人中居住した鳥坂村を知行地として望み、かなえられたという。


鳥坂村
とさかむら

[現在地名]宇和町久保くぼ

宇和川の水源地域の小山村。北は鳥坂峠を経て稲積いなづみ(現大洲市)となり、下流正信まさのぶ村と接する。大洲藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)喜多きた郡の項に「鳥坂村 茅山有」と記され、村高は一四二石三斗九升で、そのうち田九一石、畠五一石三斗九升とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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