鳴川村(読み)なりかわむら

日本歴史地名大系 「鳴川村」の解説

鳴川村
なりかわむら

[現在地名]山川町成川なりかわ小川おがわ浜児はまちよみず

揖宿郡に所属。福元ふくもと村の西に位置し、東端の海岸部の一部は山川湊西岸を形成している。北端うなぎ池、南端に浦としての浜児ヶ水(現在、行政上は「はまちごがみず」という)がある。「鹿児島県地誌」に「成川なるかは村」とあることから、従来「なるかわ」とよんでいた可能性もあるが、寛政一二年(一八〇〇)書写の諸郷村附並浦附(県立図書館蔵)には「鳴川なりかわ村」とみえる。「三州御治世要覧」にかつては指宿いぶすき郷のうちであったが、のち山川郷に編入されたと記される。

正平二三年(一三六八)八月三日の権中納言某安堵状写(地誌備考)によると、開聞宮(現枚聞神社)の「寄進地山河・鳴河」を神領として安堵したことが頴娃氏に伝えられている。


鳴川村
なるかわむら

[現在地名]奈良市東鳴川ひがしなるかわ

法用ほうよう村西方にある。天平勝宝八年(七五六)六月九日の東大寺堺勅定文(正倉院文書)に「三堺鳴川北横峯并梅谷」とある。慶長郷帳には成川村とあり、村高一一九・九七石。御番衆領から元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領。


鳴川村
なるかわむら

[現在地名]平群町大字鳴川

生駒山地東麓の鳴川の渓谷に立地。慶長郷帳には「成川村」と記す。慶長郷帳の村高七三・一三石。慶長六年(一六〇一)竜田藩(片桐且元)領。寛永一六年(一六三九)郡山藩(郭住、本多勝行)領、延宝七年(一六七九)幕府領、享保九年(一七二四)再び郡山藩(柳沢吉里)領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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