鴨山城跡(読み)かもやまじようあと

日本歴史地名大系 「鴨山城跡」の解説

鴨山城跡
かもやまじようあと

[現在地名]鴨方町鴨方

現町域中央の鴨山(一六八・二メートル)にある。鴨山は山容が鴨に似ているところから名付けられたといわれ、東西二キロ弱、南北一キロ弱。山頂付近は巨岩が露呈している。天然の要害の地を利用して構築された山城。加茂山かもやま城・石井山いしいやま城とも称された。管領細川頼元の子満国によって応永年間(一三九四―一四二八)に築城されたという。元文(一七三六―四一)頃の鴨方領明細帳(池田家文庫)によれば、細川通董は出城として青佐山おおさやま(現笠岡市)竜王山りゆうおうざん城、道越みちごえ(現倉敷市)要害山城を構えたといい、天文(一五三二―五五)より永禄(一五五八―七〇)まで尼子晴久・同勝久、備前宇喜多氏、阿波国三好実休の勢と数度にわたる合戦があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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