鴨島村(読み)かもじまむら

日本歴史地名大系 「鴨島村」の解説

鴨島村
かもじまむら

[現在地名]鴨島町鴨島

喜来きらい村の西に位置し、南西上下島じようげじま村、北は阿波郡知恵島ちえじま村。村の北部を川が東流する。文安五年(一四四八)一二月二二日の別当覚葉旦那職売券(仙光寺文書)によると、柿原かきはら(現吉野町薬師寺か)別当覚葉は「掃部島 掃部太郎夫妻共ニ」などの熊野参詣旦那職を十川先達(現仙光寺)に売渡しており、この掃部島は当地のことと思われる。なお文亀二年(一五〇二)一二月一三日十川(現仙光寺)僧都憲春は熊野参詣の檀那を弟子大輔房に譲渡しているが(「憲春置文」同文書)、その置文のなかに「鴨島道了入道、掃部太郎」とみえる。

慶長二年(一五九七)の分限帳では里村太郎右衛門知行分のうちに鴨島高二五八石余がみえる。


鴨島村
かもじまむら

[現在地名]高岡市博労町ばくろうまち博労本町ばくろうほんまち清水町しみずまち一―三丁目・南幸町みなみさいわいまちなど

千保せんぽ川右岸、高岡町の南方に位置。村名木曾義仲の平家追討の際、石黒太郎光弘らとともに出陣した賀茂島七郎がこの地を領したことによる(越中志徴)。慶長一四年(一六〇九)から同一九年の前田利長高岡在城の頃、村の大部分が高岡町に編入され高岡鴨島町が生れた。正保郷帳では高六石余、畑方四反余、新田高六五石余。


鴨島村
かもじまむら

[現在地名]上越市鴨島・鴨島一―三丁目

上稲田かみいなだ村の南に位置し、ひるこ街道・まき道が通る。大道だいどう用水が村内を縦断するほか子安こやす用水も流れる。正保国絵図に村名がみえ高一六五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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