日本歴史地名大系 「鴨部庄」の解説
鴨部庄
かべのしよう
江戸期の
仁安三年(一一六八)四月二五日の官宣旨案(石清水文書)および安元二年(一一七六)六月一〇日の後白河院庁下文案(同文書)によれば、仁安三年四月道恵法親王は死去に際して、当庄以下の観音堂領を弟子の鳥羽宮法印定恵へ譲与し勅許を得た。最清は久寿二年(一一五五)に死去していたが、この譲与は光清が美濃局に譲与した際の約束に明らかに背くものである。
鴨部庄
かんべのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報