日本歴史地名大系 「鴻巣城跡」の解説 鴻巣城跡こうのすじようあと 和歌山県:西牟婁郡白浜町保呂村鴻巣城跡[現在地名]白浜町保呂保呂(ほろ)の南部、内(うち)ノ川(かわ)との境の山頂にある。標高九五メートル。保呂城ともいう。「紀南郷導記」に「昔山本主膳ガ家来内ノ川平兵衛ト云フ者、内ノ川村・保呂村ヲ知行シテ百五年已前マデ居城セシトナリ」とある。築城の年代は明らかでないが、年不詳七月六日付の小山式部大夫宛畠山稙長感状(小山文書)に「今度保呂城へ敵取懸之処、雖及一戦彼城落居無念次第候、殊同名数多討死不便粉骨無比類候、弥忠節肝要候」とある。この城をめぐって山本氏と日置(ひき)川筋の小山氏がしばしば攻防を展開したようで、天文三年(一五三四)山本・愛洲両氏が小山氏の守る当城を奪取したと伝える。 鴻巣城跡こうのすじようあと 新潟県:西蒲原郡吉田町鴻巣村鴻巣城跡[現在地名]吉田町鴻巣 箱根東方に神明社、北に福厳(ふくごん)寺がある。五〇メートル四方の周濠がめぐらされていたと推定され、土塁・堀の一部が残る。須恵器・陶磁器が出土している。字箱根(はこね)の福厳寺遺跡は鴻巣城と密接な関係があったと考えられる。天正八年(一五八〇)の上杉景勝書状(山岸文書)に「鴻巣普請堅固成之、番手以下堅申付由、尤干(肝)用候」とあり、御館の乱における景勝の一拠点で、三条城攻撃などに備えて修築が加えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報