鶴子銀山跡(読み)つるしぎんざんあと

日本歴史地名大系 「鶴子銀山跡」の解説

鶴子銀山跡
つるしぎんざんあと

[現在地名]佐和田町沢根村・沢根五十里

質場しちば川に沿って沢根さわね城跡へ至る道の奥にある。天文年間(一五三二―五五)以来佐渡第一の銀山として繁栄した。伝承によると、天文一一年越後寺泊てらどまり(現三島郡寺泊町)の商人外山茂右衛門によって発見され、上杉謙信に申入れて越後魚沼郡の上田うえだ銀山の金掘り数百人を沢根に送り、天文―弘治(一五三二―五八)の頃に銀山を稼いだという(佐渡故実略記)。沢根村の元禄七年(一六九四)検地帳(沢根村区有)には「いもじ」「かじ屋敷」「山師平」の地名がある。鶴子の字外山とやまには、外山茂右衛門の陣屋跡といわれる外山陣屋とやまじんやの地字も残る。外山陣屋付近からは製錬に使用したふいご鉱滓が出土する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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