鶴彬(読み)つる あきら

共同通信ニュース用語解説 「鶴彬」の解説

鶴彬

鶴彬つる・あきら 1909年に貧しい竹籠編み職人の家の次男として生まれ、小学生ころから地元北國新聞の子ども欄に短歌俳句を投稿した。8歳で父が病死し、師範学校進学はかなわなかった。大阪の町工場に就職しプロレタリア川柳傾倒雑誌「川柳人」が反戦的行動をしたとして摘発されたことに伴い、投稿した鶴も治安維持法に違反したとして逮捕され、その後病死した。

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20世紀日本人名事典 「鶴彬」の解説

鶴 彬
ツル アキラ

昭和期の川柳作家,社会運動家



生年
明治42(1909)年1月1日

没年
昭和13(1938)年9月14日

出生地
石川県河北郡高松町

本名
喜多 一二(キタ カツジ)

学歴〔年〕
高松小高等科〔大正12年〕卒

経歴
17歳で川柳に興じ、新興川柳で社会批判をする。昭和3年上京し、川柳を通して非合法活動に入る。5年入営し、金沢第七連隊で無産青年読書会を組織、赤化事件をおこし衛戌監獄に2年入る。8年除隊、以後プロレタリア川柳人として雑誌「川柳人」「川柳時代」などに、時流に立ち向かう作品を発表しつづけた。12年12月反戦川柳によって治安維持法違反容疑で検挙され、13年9月野方刑務所で、赤痢にかかって死去した。「鶴彬句集」、「鶴彬全集」(全1巻 たいまつ社)がある。平成10年「鶴彬全集」(増補改訂版)が復刻出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴彬」の解説

鶴彬 つる-あきら

1909-1938 昭和時代前期の川柳作家。
明治42年1月1日生まれ。プロレタリア川柳の影響をうけ,昭和3年全日本無産者芸術連盟にくわわる。12年「川柳人」に発表した作品が治安維持法違反にとわれて留置され,13年9月14日獄中で病死。30歳。石川県出身。本名は喜多一二(かつじ)。
格言など】手と足をもいだ丸太にしてかへし(「川柳人」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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