小学生(読み)しょうがくせい

精選版 日本国語大辞典 「小学生」の意味・読み・例文・類語

しょうがく‐せい セウガク‥【小学生】

〘名〙 小学校に在学している児童。小学校の生徒小学生徒
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉一〇「羽織、洋服、尋中生、小学生」

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デジタル大辞泉 「小学生」の意味・読み・例文・類語

しょうがく‐せい〔セウガク‐〕【小学生】

小学校に在学する子供。→児童

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小学生」の意味・わかりやすい解説

小学生
しょうがくせい

小学校に通学する児童。1872年(明治5)「学制」が発布され、全国に小学校が設けられた。当時は「小学校児童」「小学校生徒」などということばが使われていた。「小学生」ということばは、「小学校生徒」が縮まってできたことばと考えられる。しかし、いつごろから使われるようになったかは、はっきりしない。

[西根和雄]

明治期の小学生

服装

学制発布後の就学率は30%に達しなかったといわれ、女の子は、髪はトンボ形に結び、紺無地の上っ張りを着て、男の子は角帯を締め、角帯の上に真田紐(さなだひも)のついた前掛けをつけて通学するという者が多かった。やがて、就学率は上がっていき、明治30年代から40年代には98%に達し、そのころになると小学生の服装は、手織り木綿の筒袖(つつそで)の着物、手作りの草履(ぞうり)履き、天気の悪い日には下駄(げた)履きというのが普通だった。そして寒くなると綿入れの半纏(はんてん)やでんち(羽織の襟と紐(ひも)のないもの)を羽織るというかっこうが、子供一般の通学時の姿であったようである。

[西根和雄]

持ち物

小学生の持ち物で代表的なものは筆記用文房具である。そして、それらを肩にかける鞄(かばん)に入れたり、風呂敷(ふろしき)に包んだりしていた。子供たちがそれまでの手間のかかる墨や筆から解放され、軽便な筆記用具が使用できるようになったのは、石盤と石筆の普及によってであり、1877年(明治10)ごろである。

[西根和雄]

大正・昭和初期の小学生

服装

大正期に入ると髪形は、男子は活動的な坊主刈りで、女子はお下げや固い束ね髪にしていた。そして服装もおおむね筒袖の着物に変わってきた。しかし履き物は藁(わら)草履や下駄などであって、ズックといったゴム靴を履く子供が出てくるのは大正末期になってからである。一方、大正中期には、洋服を着用する子供の数もぼつぼつ増えてくる。とくに大都市にある中心校、たとえば師範学校の附属小学校や私立の小学校では、1922~1923年(大正11~12)ごろから制服を着る子供が急速に増加していった。そして学帽もかぶるようになった。

[西根和雄]

持ち物

筆記用具としての石盤、石筆にかわって登場するのが、鉛筆と練習帳(ノート)である。大正期は、いわば石盤、石筆から鉛筆、練習帳への移行期であった。ランドセルは、1923、1924年ごろまでは、わずかに大都市のデパートで売られていたにすぎなかった。したがって、多くは肩にかける鞄や風呂敷に教科書などを入れて通学した。昭和期に入ると、ランドセルがしだいに流行し、1935年(昭和10)ごろになると、小学校新入学時の必需学用品の代表のようにさえなった。

[西根和雄]

戦時体制下の小学生

1937年第二次世界大戦の戦時体制下に入ると、小学生の服装から持ち物や文房具に至るまで、消費節約が強制されるようになった。たとえば牛革製のランドセル、靴などについても、適当な代用品をあてるようになり、児童の制服もウールにかわってステープルファイバー(スフ)製のものになった。このスフでさえ不足してくると、昔ながらにカラムシ(苧麻(チョマ))の皮やクワの木の皮で洋服をつくるようになった。カラムシの採取の仕事は児童に振り当てられた。児童の勤労奉仕作業が広く行われるようになったのは、1938年以降である。

 1941年4月には小学校が国民学校に改編され、児童は「少国民」といわれた。やがて学童服も、カラムシの繊維で織られた国防色(黄褐色)のものが配給された。本土空襲が激しくなった1944年からは、児童にも戦闘帽が与えられ、脚にはゲートル、背には防空頭巾(ずきん)、女子はもんぺといった服装になった。なお、この年、大都市と工業地帯の児童に対して、学童疎開の措置が決定された。

[西根和雄]

第二次世界大戦後の小学生

第二次世界大戦直後の小学校の施設は、1400校余の校舎が空襲によって焼失した状況であった。したがって戦災校舎や青空教室などで、二部または三部授業などの方法で学ばなければならなかった。学用品はもとより、服装にしても、ある物でまにあわせるしかない時代であった。

 1950年以後になると、朝鮮戦争による特需景気によって、日本の経済は飛躍的に成長した。それに伴い、小学生の置かれた生活状態も徐々によくなっていった。

 昭和30年代(1955~1964年)に入ると、技術革新の波を中心とした高度経済成長が消費生活における向上をもたらした。この向上は、小学生の生活にも大きな影響を与え、服装は自由で、いっそう華美になった。

 1980年代以降は急速に小学生の生活も豊かなものとなり、1996年(平成8)に実施された、当時の総務庁青少年対策本部の小学4~6年生を対象とした調査結果によれば、洋服はもとより、身の回りのもので50%以上の所有率を占めているものをあげると、男子では自転車、机、テレビゲーム、腕時計、女子の場合はそのほかに電卓、ピアノ、エレクトーンなどが含まれていた。自分だけの部屋をもつ児童は男子38.1%、女子39.2%。自分専用のテレビをもつ児童は男子15.5%、女子8.9%。男女ともに約2%の児童が自分専用の電話をもつとあった。

 その後、2007年に内閣府が行った調査では、「親などと共有のパソコンをもつ」(男子42.3%、女子42.2%)、「自分専用の携帯電話またはPHSをもつ」(男子10.0%、女子19.3%)、「自分専用または子供用パソコンをもつ」(男子6.8%、女子6.9%)などの項目の結果に、時代の変化が顕著に表れている。

[西根和雄]

体格の変化

1948年(昭和23)に開始された文部省(現文部科学省)の「学校保健統計調査」によると、小学生の体格は第二次世界大戦後、身長、体重とも著しく伸び増えていることがわかる。1948年の6歳男子(小学1年生)の平均身長108.1センチメートルに対し、1999年(平成11)では116.6センチメートルに伸びている。小学1年生と6年生の男女の平均身長と平均体重について、1969年から1999年までの30年間の推移をみる限りでも、1969年当時の小学生(すなわち親の世代)と比較して、小学1年生の平均身長は男女とも2.4センチメートル伸び、平均体重は男子が1.7キログラム、女子が1.8キログラム増えている。小学6年生の平均身長は男子が5.3センチメートル、女子が5センチメートル伸び、平均体重は男子が5.7キログラム、女子が4.8キログラム増えている。

 2008年(平成20年度版)の『学校保健統計調査報告書』によると、1999年から2008年までの10年間に、小学1年生の平均身長は、男子が0.1センチメートル伸び、女子は10年前と同じ、平均体重は、男子が0.2キログラム、女子は0.3キログラム減っている。小学6年生の平均身長は、男子は10年前と同じ、女子は0.3センチメートル低くなり、平均体重は、男子が0.5キログラム、女子が0.7キログラム減っている。

[西根和雄]

『仲新監修『学校の歴史 第2巻 小学校の歴史』(1979・第一法規出版)』『唐澤富太郎著『図説明治百年の児童史 下』(1968・講談社)』『教育研究所調査室編『モノグラフ・小学生ナウ 第1巻第10号 子どもの持ち物』(1980・福武書店)』『上笙一郎編『日本の子どもの歴史6 激動期の子ども』(1977・第一法規出版)』『文部省編『学校保健統計調査報告書』各年版(大蔵省印刷局、2001年3月発行の平成12年度版より文部科学省編、財務省印刷局発行)』『日本子ども家庭総合研究所編『日本子ども資料年鑑』第6巻(1998・KTC中央出版)』『文部省編『教育委員会月報』平成12年2月号(2000・第一法規出版)』『内閣府編・刊『低年齢少年の生活と意識に関する調査報告書』(2007)』『文部科学省編著『平成20年度学校保健統計調査報告書』(2009・日経印刷)』

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