鶴首城跡(読み)かくしゆじようあと

日本歴史地名大系 「鶴首城跡」の解説

鶴首城跡
かくしゆじようあと

[現在地名]成羽町下原

鶴首山(三三八メートル)山頂を中心に構築された中世山城。山頂部に一の壇から七の壇が確認され、一の壇には石垣が残存北東の尾根上に二の丸、南西の五の壇の崖下には堀切を設け、北西の標高二〇〇メートルの地点には太鼓丸を配する。また南斜面中腹には井戸の石垣跡、南西約一キロ、標高三六〇メートルの地点には非常用水池と推察される通称武士の池があるなど、堅牢な城砦の遺構を示す。「備中府志」によると、河村四郎秀清の築城とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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