20世紀日本人名事典 「麻生観八」の解説 麻生 観八アソウ カンパチ 明治・大正期の実業家 九州水力電気監査役。 生年元治2年1月10日(1865年) 没年昭和3(1928)年8月2日 出生地豊後国日田(大分県日田市) 経歴15歳で酒造業を営む麻生家の養子となる。21歳で酒造免許を取得し、中断していた養家の酒造を再開、銘酒「八鹿」を生み出した。明治44年九州水力電気の設立に参画して監査役に就任、同社の水源涵養林として湯布院・飯田高原への植林事業を行った。大分合同銀行重役・郡農会長・郡会議長などを歴任し、高等女学校の創立や郡奨学育英会の結成・農事改良・道路敷設・電話の開設など多方面に跨る事業を展開。また、九州横断鉄道(のち久大本線)の建設を企図し、政府に働きかけた結果、大正7年に着工が開始された。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「麻生観八」の解説 麻生観八 あそう-かんぱち 1865-1928 明治-大正時代の実業家。元治(げんじ)2年1月10日生まれ。大分県玖珠(くす)郡の造り酒屋麻生家の養子となり,中絶していた酒造業を再興し,銘酒「八鹿」を生む。九州水力電気の創立に参画し,久大線の開通促進,飯田(はんだ)高原の植林,地域教育振興などにつとめた。昭和3年8月2日死去。64歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by