日本大百科全書(ニッポニカ) 「八鹿」の意味・わかりやすい解説
八鹿
ようか
兵庫県中北部、養父郡(やぶぐん)にあった旧町名(八鹿町(ちょう))。現在は養父市の北東部を占める一地区。1913年(大正2)町制施行。1955年(昭和30)高柳(たかやなぎ)、伊佐の2村と宿南(しゅくなみ)村の一部と合併。2004年(平成16)養父、大屋(おおや)、関宮(せきのみや)の3町と合併、市制施行して養父市となる(なお、この合併により養父郡は消滅)。旧八鹿町は、円山川(まるやまがわ)と八木川(やぎがわ)の合流点に位置し、円山川水運と山陰街道の宿場町として発達。JR山陰本線が走り、国道9号と312号が通じる交通の要地である。但馬(たじま)養蚕の中心で、製糸業が立地していたが、現在は養豚、ブロイラー飼育、酪農が発達し、三谷地区に畜産団地が造成されている。チューリップなどの栽培も盛ん。西部の妙見山(みょうけんさん)(1139メートル)東方には但馬地方の妙見信仰の中核である但馬妙見日光院がある。妙見山中腹の名草神社(なぐさじんじゃ)は近世には日光院と深い関係をもち、妙見宮とよばれた。室町時代の三重塔、江戸時代の本殿、拝殿は国指定重要文化財。国指定史跡として八木城(やぎじょう)跡と箕谷古墳群(みいだにこふんぐん)がある。戊辰年銘大刀(ぼしんねんめいたち)をはじめとする箕谷2号墳出土品は、国の重要文化財に指定されている。宿南地区には、同地区出身の儒学者・教育者である池田草庵(いけだそうあん)(1813―1878)が開いた漢学塾青谿(せいけい)書院の跡(県史跡)がある。
[大槻 守]
『中島喜市編『八鹿町史』全2巻(1971、1977・八鹿町)』