黄花崗事件(読み)こうかこうじけん

山川 世界史小辞典 改訂新版 「黄花崗事件」の解説

黄花崗事件(こうかこうじけん)
Huanghuagang

1911年4月27日,中国同盟会の100余名が黄興(こうこう)指揮のもとに広東省城奪取を計画し,両広総督の官庁を襲撃して撃退された事件。このときの犠牲者87人は,のち広州郊外の黄花崗に埋葬されたので,こう呼ばれる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「黄花崗事件」の解説

黄花崗事件
こうかこうじけん

1911年,広東郊外黄花崗での中国同盟会員の武装蜂起
黄興らの同盟会員が両広総督の官署の襲撃をはかったが失敗した。 多くの志士が戦死し,そのうち72名の遺体を黄花崗に合葬,革命烈士とたたえた。幹部は亡命したため同盟会は弱体化したが,その後全国の革命的機運を急速に増大させる口火となった。

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