黄花崗事件(読み)こうかこうじけん

山川 世界史小辞典 改訂新版 「黄花崗事件」の解説

黄花崗事件(こうかこうじけん)
Huanghuagang

1911年4月27日,中国同盟会の100余名が黄興(こうこう)指揮もとに広東省城奪取を計画し,両広総督の官庁襲撃して撃退された事件。このときの犠牲者87人は,のち広州郊外の黄花崗に埋葬されたので,こう呼ばれる。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「黄花崗事件」の解説

黄花崗事件
こうかこうじけん

1911年,広東郊外黄花崗での中国同盟会員の武装蜂起
黄興らの同盟会員が両広総督の官署の襲撃をはかったが失敗した。 多く志士が戦死し,そのうち72名の遺体を黄花崗に合葬,革命烈士とたたえた。幹部は亡命したため同盟会は弱体化したが,その後全国の革命的機運を急速に増大させる口火となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む