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黄興 こうこう Huang Xing; Huang Hsing

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黄興
こうこう
Huang Xing; Huang Hsing

[生]同治13(1874)
[没]1916. 上海
中国,近代の革命家。湖南省善化県 (長沙市) の人。字は克強 (こくきょう) 。両湖書院卒業後日本に留学し,光緒 29 (1903) 年,帰国して宋教仁らと華興会を結成,翌年,長沙での挙兵に失敗して日本に亡命。

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デジタル大辞泉の解説

こう‐こう〔クワウ‐〕【黄興】

[1874~1916]中国の革命家。善化(湖南省)の人。孫文と協調、中国革命同盟会を結成し、倒清運動を指導。辛亥(しんがい)革命後、南京臨時政府の陸軍総長。袁世凱(えんせいがい)討伐の第二革命に失敗して米国に亡命。ホアン=シン。

ホアン‐シン【黄興】

こうこう(黄興)

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百科事典マイペディアの解説

黄興【こうこう】

中国,清末民国初期の革命家。長沙の人。1900年唐才常の自立軍に参加,1901年日本に留学,1903年帰国後華興会創設,各地に起義を計画したが失敗し再び日本留学,宮崎滔天と出会う。
→関連項目宋教仁

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

黄興 こう-こう

1874-1916 中国の革命家。
同治13年9月16日生まれ。日本留学ののち同仇会を組織し蜂起を計画するが失敗,日本に亡命。1905年孫文らと中国革命同盟会を結成し,軍事指導者となる。辛亥(しんがい)革命後,陸軍総長に就任したが,袁世凱(えん-せいがい)に敗れ,日本,のちアメリカに亡命した。1916年10月31日死去。43歳。湖南省出身。両湖書院卒。前名は軫(しん)。号は克強。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうこう【黄興 Huáng Xìng】

1874‐1916
中国の革命家,湖南省長沙の人。原名は軫,字は克強,号は廑午。書香の家に生まれて秀才になったが,戊戌(ぼじゆつ)変法のころに新思想に接し,1902年(光緒28)に日本に留学した。主として軍事学を学ぶとともに,軍国民教育会等の反清革命組織を結成し,翌年長沙に帰って華興会,同仇会(会党との連絡組織)を組織した。04年,蜂起に失敗して日本に逃げ,宮崎滔天にめぐりあった。翌年,滔天を介して来日した孫文と対面し,協力して中国同盟会を創立,ナンバー2の地位に就いた。

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大辞林 第三版の解説

こうこう【黄興】

1874~1916) 中国の革命家。日本留学後、中国革命同盟会の結成に参画。辛亥しんがい革命後、南京臨時政府の陸軍総長。第二革命に失敗しアメリカに亡命。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黄興
こうこう / ホワンシン
(1874―1916)

中国の革命家。湖南(こなん)省善化県(長沙(ちょうさ)市)の人。克強と号した。武昌(ぶしょう)の両湖書院に学ぶ。唐才常(とうさいじょう)の自立軍蜂起(ほうき)に加担。1902年(明治35)、張之洞(ちょうしどう)に選ばれて東京に留学し、留日学生の指導的分子となる。翌1903年、帰国して華興会を組織。会党と蜂起を計画し、失敗して日本に亡命。孫文(そんぶん)に協力し、1905年に中国同盟会を組織。最高軍事指導者として、何度も武装蜂起を企て、失敗を重ねた。辛亥(しんがい)革命で武昌防衛と南京(ナンキン)攻略を指揮し、中華民国が成立して孫文を臨時大総統とする南京臨時政府の陸軍総長となった。第二革命に敗れ、日本に亡命。孫文と意見を異にして渡米。第三革命で、1916年に帰国し、孫文と手を結んだが、まもなく病死した。[野澤 豊]

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世界大百科事典内の黄興の言及

【華興会】より

…中国,清末の民族・民主革命結社。帝政ロシアの東北(旧満州)侵略を引金に,留日学生出身の黄興,陳天華らが,1904年(光緒30)2月,長沙で宋教仁,譚人鳳らとともに結成した。同仇会は,会党哥老会の頭目馬福益の協力を得て作られた別働隊で,日本軍を手本に組織され,数万~10万人を動員したという。…

【辛亥革命】より

…しかし袁世凱はそれも独裁への障害であるとし,3月,国民党の中心人物である宋教仁を暗殺した。 孫文はこの段階で反袁武装闘争の必要を認識したが,黄興をはじめ多くは法律による解決を主張した。その間に袁世凱は国会の権限を踏みにじってイギリス,ドイツ,フランス,ロシア,日本の5国銀行団から2500万ポンドにもおよぶ善後借款を結び態勢をととのえた。…

【中国同盟会】より

…1905年8月,日本の東京で甘粛省をのぞく本土17省の留学生300余名を結集して組織された。総理は興中会以来の革命歴を背負う孫文,副総理格の執行部長に華興会の創立者で留学生に人望のあった黄興がついた。綱領は〈駆除韃虜,復中華,創立民国,平均地権〉(四綱)で,別の言い方では民族・民権・民生の三大主義である(のちに三民主義とよばれる)。…

【宮崎虎蔵】より

…蜂起失敗後,某政商の背任事件との関連で虎蔵は一時革命運動の戦列をはなれて浪花節語りとなって生計の途を講ずるのだが,この間に自伝《三十三年之夢》を書いて革命家孫文を世に紹介した。 ついで1905年,黄興と孫文とを提携させて中国同盟会の成立をうながした。同会機関誌《民報》の発行所を自宅に置いたばかりでなく,萱野長知らと《革命評論》を創刊して側面援助にもつとめた。…

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