コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

黄華 こうかHuang Hua

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黄華
こうか
Huang Hua

[生]1913.1.25. 河北
[没]2010.11.24. 北京
中国の外交官。北京燕京大学卒業。 1936年中国共産党入党。紅軍総司令部の通訳,秘書などをつとめ,外事部門の責任者を経て 53年外交部参事,板門店朝鮮戦争休戦会談代表。 54年ジュネーブ会議中国代表団顧問。同年 10月外交部西欧アフリカ局長。 55年アジア=アフリカ会議中国代表団顧問。 60年よりガーナエジプト,カナダ,国連駐在大使などを歴任する。 70年代米中接近のなかで中央三人組のメンバーとして H.キッシンジャーと接触した。 73年十全大会,77年十一全大会,82年十二全大会で中央委員に連続当選。 76年 12月外交部長,80年9月国務院副総理兼外交部長,82年5月より国務委員兼外交部長をつとめた。 83年6月より全人代常務委員会副委員長,87年 10月十三全大会で中央顧問委員会常務委員に選出。中国に返還後のホンコンへの派兵問題で 鄧小平の不満を買ったことがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黄華
こうか / ホワンホワ
(1913―2010)

中国の外交官。河北省磁(じ)県出身。1935年北京(ペキン)の燕京(えんきょう)大学卒業。1936年中国共産党入党。アメリカ人ジャーナリスト、エドガー・スノーの延安入りに同行、スノーと毛沢東との会見で通訳を務める。1949年解放後の南京(ナンキン)軍事管制委員会外事処長。1953年朝鮮戦争休戦交渉、1954年ジュネーブ会議に参加。1956年外務省西欧局長、1966~1969年駐アラブ連合(エジプト)大使。「文化大革命」中に批判を受けず任地にとどまった唯一の大使であった。1971年国連安保理事会初代常駐代表となる。1973年党中央委員。1976年外相に就任、1978年(昭和53)日中平和友好条約に調印。同年には小平副首相、1980年には華国鋒首相、1982年には趙紫陽首相の日本訪問に随行。1980年副首相。1982年内閣国務委員。党中央委員。1982年11月ブレジネフ葬儀に参加、久々の中ソ外相協議を行い、帰国後、外相を辞任した。[高市恵之助・渋谷 司]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

黄華の関連キーワード温泉沈殿物黄華庵升六越智宣哲硫化スズ米中関係坂上呉老井上遅春温泉華楠南谿硫黄泉硫黄華王庭筠夜来石仏升六硫黄

今日のキーワード

隗より始めよ

《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android