日本大百科全書(ニッポニカ) 「スノー」の意味・わかりやすい解説
スノー(Edgar Parks Snow)
すのー
Edgar Parks Snow
(1905―1972)
アメリカのジャーナリスト。中国共産党に関する報道と著書で知られる。7月19日、ミズーリ州の農家に生まれ、1925~1926年ミズーリ大学、1927年コロンビア大学に学んだのち、1928年上海(シャンハイ)に立ち寄り、『チャイナ・ウィークリー・レビュー』〔密勒氏(ミラーし)評論〕の編集次長となって、以後十数年にわたって中国報道に専心した。1930年から日本をはじめ東南アジアなど各地を歴訪し、1932年には『極東の戦線』を著したほか、米英の各紙に通信を送った。1934~1935年には燕京(えんきょう)大学講師を務め、1936年宋慶齢(そうけいれい)の紹介で西側記者として初めて中国解放区に入り、1937年『中国の赤い星』Red Star Over Chinaを出版して、中国共産党の実状を世界に報じた。1941年『アジアの戦争』によって日中戦争の実態を報じ、その後『サタデー・イブニング・ポスト』の特派員となって当時のソ連、中国、インドなどを歴訪して『われわれの側の民衆』(1944)、『ソビエト勢力の形態』(1945)を書いた。1946年帰国、1949年、ジャーナリストでもある最初の夫人ニム・ウェールズNym Wales(1907―1997)と離婚。1960年ふたたび中国を訪れ『今日の中国』Red China Today(1961)を著し、その後も中国を訪れて首脳と会見、独自の報道を行った。1972年2月15日スイスで病没した。
[伊藤慎一]
『小野田耕三郎・都留信夫訳『中共雑記』(1964・未来社)』▽『松岡洋子訳『増補決定版 中国の赤い星』(1975・筑摩書房)』▽『松岡洋子訳『今日の中国――もう一つの世界』上下(1976・筑摩書房)』
スノー(Baron Charles Percy Snow)
すのー
Baron Charles Percy Snow
(1905―1980)
イギリスの小説家。レスターで生まれ、その地の大学を卒業し、さらにケンブリッジ大学で研究を続けた。専攻は物理学で、博士号を得たのち同大学の特別研究員となった。第二次世界大戦中に科学者を戦争目的のために動員する計画に加わって行政官となり、戦後もその仕事を続けて、1964年には科学技術省政務次官となった。この方面での功績により同年に男爵に叙せられた。1930年代初頭から小説を書き始めたが、初期の3冊の小説のあと『他人と同胞』(1940~70)と題される11巻の小説からなる連作が続く。これが彼の代表作であり、当時国際的にももっとも広く読まれ、また広く論じられたイギリス小説の一つである。現代における科学と文学という「二つの文化」の分裂・対立を論じた『二つの文化と科学革命』(1959)で世界的な論争を巻き起こした。科学と行政の関係を論じた『科学と政治』(1961)、『人間この多様なるもの』(1967)などの著書もある。
[戸田 基]
『松井巻之助訳『二つの文化と科学革命』(1960/新版・1967・みすず書房)』▽『朱牟田夏雄訳『科学と政治』(1962・音羽書房)』▽『植田敏郎・井上日雄訳『人間この多様なるもの』(1970・紀伊國屋書店)』
スノー(Hank Snow)
すのー
Hank Snow
(1914―1999)
アメリカのカントリー・アンド・ウェスタン歌手。カナダのノバ・スコシア生まれ。1933年に歌手となり、34年ラジオ初出演、36年からレコーディングを行ったが下積み生活が長く、50年にテネシー州ナッシュビルの名物ラジオ・ショー「グランド・オール・オープリ」に出場、自作『ムービン・オン』を歌ってスターの座についた。鼻にかかった声に特色があり、早口言葉的な歌が得意。ギター奏者としても有名であった。
[青木 啓]