黎庶昌(読み)れいしょしょう(その他表記)Lí Shù chāng

改訂新版 世界大百科事典 「黎庶昌」の意味・わかりやすい解説

黎庶昌 (れいしょしょう)
Lí Shù chāng
生没年:1837-97

中国,清代の官吏外交官。字は蒓斎(じゆんさい)。貴州省遵義の人。鄭珍について学んだが,同治(1862-74)の初め詔に応じ,時の政治を論ずる書をたてまつって認められた。のち曾国藩属僚となり,〈曾門四弟子〉の一人に数えられた。イギリス,フランス,ドイツ,日本などに駐在し,さらに出使日本大臣にもなった。その在任中《古逸叢書》を刊行する。官は1891年川東道に除せられるまでになり,地方官としての人望もあった。桐城派につらなる文人として王先謙の集めたのと同名の《続古文辞類纂》28巻を編集したことでも知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黎庶昌」の意味・わかりやすい解説

黎庶昌
れいしょしょう
Li Shu-chang

[生]道光17(1837)
[没]光緒23(1897)
中国,清末の外交官,文学者。貴州省遵義県の人。ヨーロッパ各国に書記官として勤務,光緒7 (1881) 年からは駐日公使として活躍。曾国藩の幕下にあって,桐城派を重んじ,呉汝綸らとともに古文家として知られたが,「洋務」を論じたり,外国の風物を描いた散文にはその範疇を脱したものがある。また在日中に,部下楊守敬が日本で集めた中国で失われた書を復刻して『古逸叢書』を刊行した。著書に『拙尊園叢稿』などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の黎庶昌の言及

【古逸叢書】より

…中国,清の光緒年間(1875‐1908),黎庶昌(れいしよしよう)(1837‐97)が編集した叢書。中国本土で早く滅び,日本にだけのこっていたものを集めた。…

【古文辞類纂】より

…しかし,明代以前の作品の選択はほぼ妥当である。さらに1882年(光緒8)には王先謙編の《続古文辞類纂》,89年には黎庶昌(れいしよしよう)編の続選が出版された。漢文の入門書としては,収録作品のもっとも多い本格的なものである。…

【日本訪書志】より

…30巻。清末に黎庶昌(れいしよしよう)が外交官として日本に駐在したとき,中国ですでに滅び日本にだけ伝えられるようになったものを含め,多くの書物を探訪購入し,のち中国に持ち帰った。とくにその精華をえらび《古逸叢書》に編修し日本で復刻したが,校勘の作業を含めその実務はすべて随員であった楊守敬の担当であった。…

※「黎庶昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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