中国,清代古文の一派,また最大の文学流派名。安徽省桐城県出身の方苞(ほうほう)が基礎をつくり,継承者の劉大櫆(りゆうだいかい),姚鼐(ようだい)がいずれも同県出身のために,この名がある。明代の唐・宋派の系譜に立ち,宋学の学統を守る〈道の文学〉を目ざして文章の〈義法〉,すなわち内面的理法と外形的法則の調和を説き,簡潔で質実な文章を書いた。劉大櫆は方苞に師事し,〈義法〉理論を拡大し,文章は〈神気〉である精神を主として,気分はこれを輔(たす)けると説き,文字の音調も重んじた。《古文辞類纂》の編者姚鼐は劉大櫆に学び,文壇の指導者として活躍し,また漢学派との折衷を試みた。漢学の批判者方東樹も同派の理論家である。清末には文壇・政界の実力者曾国藩が出て,いっそう折衷学の傾向を強め,経書の文章も文学とみなし,政治・経済の2類を加え《経史百家雑鈔》を編集した。李鴻章もその弟子であり,厳復,林紓も欧米の思想・文学の紹介を桐城派古文の作者として行っている。
執筆者:佐藤 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、清(しん)代におこった古文の流派。「どうじょうは」ともいう。清代中期に方苞(ほうほう)、劉大櫆(りゅうたいかい)が主張し、姚鼐(ようだい)によって集大成された文章理論を信奉する一派。方・劉・姚がみな安徽(あんき)省桐城県の人であるため、この名がついた。その理論は、直接的には明(みん)の帰有光(きゆうこう)の説を継承し、唐宋(とうそう)八家の古文に連なるが、新たに儒教理念を内容とする「義」と、俗語や麗辞を排して質実な文を書くべきだとする「法」とを重視した義法説を唱えた。当時の漢学家の訓詁(くんこ)と駢文(べんぶん)家の修辞に反対して、厳格なまでに文章の典雅さを追求した。姚鼐が『古文辞類纂(こぶんじるいさん)』75巻を編んで古今の古文の模範を集めたほか、数多くの古文の選集が編纂された。この典雅と平淡を尊ぶ主張は実用性とも相まって人々に歓迎され、清末のみならず民国に入っても大きな力を保っていたが、民国初年の文学革命で打倒の対象となった。
[佐藤 保]
『青木正児著『清代文学評論史』(1950・岩波書店/『青木正児全集1』所収・1969・春秋社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 清朝でも古文の勢力は衰えなかった。その主流は桐城(とうじよう)派とよばれ,開祖とされるのは方苞(ほうほう)で,姚鼐(ようだい)がこれを盛んにした。この派は帰有光の文を高く評価する。…
…中国,清代の文学流派。清代最大の古文の流派である桐城派の支派。劉大櫆(りゆうだいかい)より古文を学んだ江蘇省陽湖の惲敬(うんけい)および陸継輅(りくけいらく),考証学と兼修した同じく陽湖の張恵言(ちようけいげん)らが主唱した。…
※「桐城派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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