日本歴史地名大系 「龍野町」の解説
龍野町
たつのまち
江戸時代、
〔江戸時代初期〕
慶長五年(一六〇〇)播磨一国が姫路城主池田輝政領となり、当地には一万石の地方知行を受けた池田氏家老荒尾成房が配された(「池田家履歴略記」、慶長一八年「池田輝政侍帳」池田家文庫)。元和三年(一六一七)池田氏が因幡鳥取に移封となると、同年本多政朝が当地に五万石で入封し龍野藩が成立した(「本多家覚書」中根家文書)。寛永三年には小笠原長次が龍野に入封している(「笠系大成」福岡県立豊津高等学校蔵小笠原文庫)。同九年小笠原氏は転封にあたって、龍野町年寄中に宛てて幕使小堀政一・御使番花房正栄・同大久保長重の連名で触書(龍野文庫蔵)を出している。翌年岡部宣勝領となるが、同一三年摂津高槻に転封され幕府領となる。岡部氏は当地に建立した雄心寺を転封とともに高槻に移したという(「岡部家譜」大阪府岸和田市立郷土資料館蔵)。城下町建設の時期は定かではないが、豊臣氏の時代に蜂須賀正勝・福島正則・木下勝俊・小出吉政が次々と龍野城主となっており、この頃城下町として発展したと推測される。
龍野町
たつのまち
姫路城の南西にある
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報