丹羽 洋岳(読み)ニワ ヨウガク

20世紀日本人名事典 「丹羽 洋岳」の解説

丹羽 洋岳
ニワ ヨウガク

大正・昭和期の歌人



生年
明治22(1889)年3月9日

没年
昭和48(1973)年3月9日

出生地
青森県黒石市

本名
丹羽 繁太郎

別名
別号=駒一,草一

主な受賞名〔年〕
青森県文化賞(第1回)〔昭和34年〕,青森県褒賞

経歴
神経性疾患のために高等小学校を中退。のち短歌に打ち込み、「明星」「スバル」「新潮」などの文芸誌に投稿して石川啄木や金子薫園らの添削を受けた。また、大正5年には青森県黒石にある彼の自宅を歌人・若山牧水が訪れ、朗詠を伝授されている。昭和6年同地の青荷温泉に移住し、ランプの宿を開業。その宿には親交のあった劇作家・秋田雨雀や版画家・棟方志功をはじめとする数多くの文人墨客が訪れた。一方で作歌も続け、和田山蘭・加藤東籬とともに大正・昭和期の青森県歌壇を主導戦後は津軽短歌社に加わり、昭和34年第1回青森県文化賞を受賞した。歌集に「山上静観」「氷紋」「山霊」、詩文集に「峡谷断章」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹羽 洋岳」の解説

丹羽洋岳 にわ-ようがく

1889-1973 大正-昭和時代の歌人。
明治22年3月9日生まれ。「スバル」で石川啄木の添削をうけ,若山牧水にであって影響をうける。青森県黒石市の青荷(あおに)温泉で旅館を経営しながら,作品を発表。戦後は津軽短歌社の結成に参加した。昭和48年3月9日死去。84歳。本名は繁太郎。歌集に「山霊」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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