若山牧水(読み)ワカヤマボクスイ

デジタル大辞泉 「若山牧水」の意味・読み・例文・類語

わかやま‐ぼくすい【若山牧水】

[1885~1928]歌人宮崎の生まれ。本名、繁。尾上柴舟おのえさいしゅう師事前田夕暮とともに自然主義歌人として一時代を画した。旅と酒の歌が多い。歌誌創作」を主宰歌集海の声」「別離」「路上」「死か芸術か」「山桜の歌」。

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共同通信ニュース用語解説 「若山牧水」の解説

若山牧水

若山牧水わかやま・ぼくすい 本名はしげる。1885年、宮崎県の医者の家に生まれ、中学生(旧制きゅうせい)のころから短歌を作り始めた。現実げんじつをありのままえがく自然主義しゅぎの歌人として活躍かつやく。大好きだった旅や酒の歌が多く、分かりやすく美しい歌は多くの人に愛された。1928年に死去。

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精選版 日本国語大辞典 「若山牧水」の意味・読み・例文・類語

わかやま‐ぼくすい【若山牧水】

  1. 歌人。宮崎県出身。本名繁。早稲田大学英文科卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛し、平明な歌風により自然主義歌人として活躍した。著「海の声」「別離」「死か芸術か」「山桜の歌」など。明治一八~昭和三年(一八八五‐一九二八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「若山牧水」の意味・わかりやすい解説

若山牧水
わかやまぼくすい
(1885―1928)

歌人。本名繁。明治18年8月24日、医師若山立蔵(りゅうぞう)の長男として宮崎県東臼杵(ひがしうすき)郡坪谷(つぼや)村(現日向(ひゅうが)市)に生まれる。延岡(のべおか)中学時代から作歌、牧水と号し、早稲田(わせだ)大学英文科に入るとともに尾上柴舟(おのえさいしゅう)門下となって雑誌『新声』の歌壇に拠(よ)る。1908年(明治41)卒業と同時に歌集『海の声』を出版し、10年出版の第三歌集『別離』によって同門の前田夕暮(ゆうぐれ)とともに歌壇に「牧水・夕暮時代」を現出させ、前後2回の短い新聞記者のほかは、もっぱら歌人として生活する。20年(大正9)東京から静岡県沼津に移り、28年(昭和3)9月17日に没したが、西行(さいぎょう)、芭蕉(ばしょう)と並称されるほど旅を愛し、また酒を愛することも深かった。浪漫(ろうまん)主義、自然主義の影響を受けた初期から歌風は平明清澄、声調は流麗で広く愛唱され、「幾山河(いくやまかは)越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」「白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり」の青春時代から「うす紅(べに)に葉はいちはやく萌(も)えいでて咲かむとすなり山ざくら花」などの円熟した後期の自然詠まで、全国のその歌碑は現在100基を超えている。また1910年創刊の歌誌『創作』を生涯主宰し、全国多数の新聞雑誌歌壇の選者として広く後進を導き、歌のほか優れた紀行文随筆が多く、生地に記念館がある。

 なお、夫人喜志子(きしこ)(1888―1968)は長野県東筑摩(ひがしちくま)郡広丘村(現塩尻(しおじり)市)の生まれ。女流歌人として知られ、牧水没後『創作』を主宰した。

大悟法利雄

『『若山牧水全集』全13巻(1958~59・雄鶏社)』『『若山牧水全歌集』(1975・短歌新聞社)』『大悟法利雄著『若山牧水伝』(1976・短歌新聞社)』『『若山喜志子全歌集』(1981・短歌新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「若山牧水」の意味・わかりやすい解説

若山牧水 (わかやまぼくすい)
生没年:1885-1928(明治18-昭和3)

明治・大正期の歌人。本名繁(しげる)。宮崎県生れ。早稲田大学英文科卒。中学時代から歌や文章を諸雑誌などに投稿し,上京後は尾上柴舟さいしゆう)に師事した。《海の声》(1908),《独り歌へる》(1910)を出したが,これらに新作を加えた《別離》(1910)で歌名を定めた。同年創刊された《創作》の編集を担当し,のちに創作社を結び,これをみずからの主宰誌とした。浪漫的心情を朗々とした調べにのせたところに特色があるが,《路上》(1911)以後自然主義的傾向を深めた。一時破調の歌を試みたが,やがて伝統的な自然詠に本来の道を見いだし,酒と旅のうちに生涯を終えた。《渓谷集》(1918)などをへて《くろ土》(1921),《山桜の歌》(1923)などに円熟の境を見ることができる。歌話や短歌作法書のほか紀行文も多く,この分野でも一家をなした。《若山牧水全集》13巻がある。〈かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな〉(《路上》)。妻若山喜志子(きしこ)(1888-1968)もすぐれた歌人として知られ,牧水没後の《創作》を主宰,1945年に及んだ。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「若山牧水」の解説

若山 牧水
ワカヤマ ボクスイ

明治〜昭和期の歌人



生年
明治18(1885)年8月24日

没年
昭和3(1928)年9月17日

出生地
宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・東郷町坪谷)

本名
若山 繁

学歴〔年〕
早稲田大学英文科〔明治41年〕卒

経歴
中学時代から歌作を始め、早大高等予科入学直後、尾上柴舟門下に入門。明治41年早大卒業と同時に第一歌集「海の声」を自費出版。43年第三歌集「別離」(「海の声」と第二歌集「独り歌へる」を含む)を刊行し、歌壇に牧水・夕暮時代が出現する。同年創刊された「創作」の編集をし、第2次の大正2年より編集発行人となり、生涯雑誌となる。歌と酒と旅を愛し、9年から静岡県沼津に居住。他の歌集に「路上」「死か芸術か」「みなかみ」「くろ土」「山桜の歌」など、歌論歌話集に「牧水歌話」「短歌作法」など、紀行文・随筆集に「旅とふる郷」「みなかみ紀行」「海より山より」などがある。他に「若山牧水全集」(全13巻 雄鶏社)がある。平成7年宮崎県が優れた短歌を顕彰する若山牧水賞を創設。宮崎県東郷町に牧水記念館がある。

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朝日日本歴史人物事典 「若山牧水」の解説

若山牧水

没年:昭和3.9.17(1928)
生年:明治18.8.24(1885)
明治大正時代の歌人。本名繁。宮崎県出身。祖父健海は蘭医,父立蔵 も医者。母はマキ。延岡中学在学中から作歌活動を開始している。明治37(1904)年,早大予科入学直後に尾上柴舟門下となり,前田夕暮,正富汪洋らと車前草社を結び主に雑誌『新声』に作品を発表した。英文科進学後,自然主義の影響下にしきりに短編小説を書いた。41年早大卒業の年に歌集『海の声』を自費出版する。一時新聞記者をしたが,43年刊行の第3歌集『別離』で一躍歌壇の寵児となり,「牧水,夕暮時代」を築いた。同年,雑誌『創作』を創刊主宰。その後,恋愛問題や貧窮のため,しばしば漂泊の旅に出た。45年太田喜志子と結婚。大正9(1920)年には静岡県沼津に移住。旅と酒を愛する歌人として親しまれ,「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」などの歌が広く国民に愛唱される。主な歌集は『路上』『みなかみ』『くろ土』『山桜の歌』。紀行文,随筆にも優れたものがある。<参考文献>大悟法利雄『若山牧水伝』

(菅原克也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「若山牧水」の意味・わかりやすい解説

若山牧水
わかやまぼくすい

[生]1885.8.24. 宮崎,坪谷
[没]1928.9.17. 沼津
歌人。本名,繁。 1908年早稲田大学英文科卒業。在学中から尾上柴舟の車前草社同人となり,歌集『海の声』 (1908) ,『独り歌へる』 (10) を発表,これらに新作を加えた『別離』により一躍歌壇の花形となった。『別離』は青春の苦悩の解決を自然に求めようとした恋と旅の歌集で,そこに初めて対象化された近代人の悲愁が大きな反響を呼んだ。しかし『路上』 (11) では自我意識の苦悶と寂寥とがうたわれ,さらに自然主義の影響を受けた『死か芸術か』 (12) ,『みなかみ』 (13) などの退廃的な作風に傾いた。歌誌『創作』を断続的に発行,主宰。『くろ土』 (21) から『山桜の歌』 (23) にいたる晩年の歌集では平明で素朴な世界を開いている。没後は妻の若山喜志子が『創作』を主宰,発行を続けた。

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百科事典マイペディア 「若山牧水」の意味・わかりやすい解説

若山牧水【わかやまぼくすい】

歌人。本名繁。宮崎県生れ。早大英文科卒。尾上柴舟に師事。1910年の歌集《別離》は自然主義の思潮を受けた清新な歌風で注目された。歌誌《創作》を創刊主宰。1912年《死か芸術か》,翌年の《みなかみ》では生活的・心境的な苦悶(くもん)を口語破調で表現したが,次第に本来の詠風にかえり,《山桜の歌》などを出した。酒と旅の生活で知られる。全集がある。
→関連項目東郷[町]前田夕暮

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「若山牧水」の解説

若山牧水
わかやまぼくすい

1885.8.24~1928.9.17

明治~昭和前期の歌人。本名繁。宮崎県出身。早大卒。1905年(明治38)尾上柴舟(さいしゅう)の車前草(しゃぜんそう)社に参加。08年歌集「海の声」出版,清新な歌風を示す。10年刊の「別離」により,前田夕暮(ゆうぐれ)とともに自然主義歌人として注目される。同年「創作」を創刊主宰。20年(大正9)沼津に移り田園生活を送る。26年(昭和元)雑誌「詩歌時代」創刊。中期の暗く思索的な作風をへて,後期は流麗な牧水調に深みをました。旅と酒を愛した歌人として知られる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若山牧水」の解説

若山牧水 わかやま-ぼくすい

1885-1928 明治-昭和時代前期の歌人。
明治18年8月24日生まれ。尾上柴舟(おのえ-さいしゅう)に師事。平明流麗な歌風で,旅と酒の歌人として知られる。紀行文や随筆もおおい。明治43年から歌誌「創作」を主宰。妻喜志子(きしこ)も歌人。昭和3年9月17日死去。44歳。宮崎県出身。早大卒。本名は繁。歌集に「海の声」「別離」「死か芸術か」など。
【格言など】白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり(「路上」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「若山牧水」の解説

若山牧水
わかやまぼくすい

1885〜1928
明治・大正時代の歌人
本名は繁。宮崎県の生まれ。早大卒。尾上柴舟 (さいしゆう) に師事し,青春の哀歓を独特の感傷の調べに伝える歌集『別離』(1910)で注目された。自然と旅と酒を愛した歌人。

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367日誕生日大事典 「若山牧水」の解説

若山 牧水 (わかやま ぼくすい)

生年月日:1885年8月24日
明治時代-昭和時代の歌人
1928年没

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世界大百科事典(旧版)内の若山牧水の言及

【尾上柴舟】より

…1902年金子薫園と結んで叙景詩運動をおこし,《明星》と対立した。05年車前草社(しやぜんそうしや)を結成,ここから若山牧水,前田夕暮らが育った。歌集《銀鈴》(1904),《静夜》(1907)をへて《永日》(1909)で自然主義的傾向を見せ,《日記の端より》(1913)で〈つけ捨てし野火の烟のあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき〉など温雅な古典的作風を完成。…

【東郷[町]】より

…日向延岡新産業都市の区域内にあり,繊維関係の工場などが国道327号線に沿って立地している。坪谷(つぼや)は若山牧水の生地で,生家の隣に牧水記念館がある。【萩原 毅】。…

※「若山牧水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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