版画家。明治36年9月5日青森市生まれ。小学校卒業後、家業の鍛冶(かじ)職を手伝い、さらに裁判所の給仕となる。画家を志し、鷹山宇一(たかやまういち)らと洋画グループをつくり、1924年(大正13)上京する。昭和初めから木版画を手がけ、平塚運一(うんいち)の教えを受ける。日本創作版画協会展、春陽会展、国画会展に版画を出品のほか、帝展に油絵を出品。1932年(昭和7)日本版画協会会員となる。柳宗悦(むねよし)、河井寛次郎ら民芸派の知遇を得、しだいに仏教的主題が多くなる。1937年国画会同人となり、翌年新文展で版画による初の特選となった。第二次世界大戦後は、1955年(昭和30)サン・パウロ・ビエンナーレ展で受賞し、翌1956年ベネチア・ビエンナーレ展で国際版画大賞を受け、世界的な評価を確立。その間に日本板画院を創立して主宰。国内とアメリカの各地で数多くの展覧会を開き、1964年度朝日文化賞のほか、1970年には毎日芸術大賞と文化勲章を受けた。縄文的血脈の現代的開花とも評されるその作風は、独特の宗教的表現主義である。日本画の大作も多い。昭和50年9月13日東京で没。木版画の代表作は『大和(やまと)し美(うるわ)し』『二菩薩釈迦(ぼさつしゃか)十大弟子』『湧然(ゆうぜん)する女者達々(にょしゃたちたち)』『柳緑花紅頌(りゅうりょくかこうしょう)』ほか。なお、1963年倉敷市の大原美術館内に棟方板画館、1974年鎌倉市に棟方板画美術館(2010年閉館)、1975年11月には郷里の青森市に棟方志功記念館が開設された。
[小倉忠夫 2017年1月19日]
『『棟方志功全集』全12巻(1977~1979・講談社)』▽『富永惣一解説『現代日本の美術12 棟方志功』(1975・集英社)』▽『海上雅臣著『棟方志功』(保育社・カラーブックス)』
昭和期の版画家
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版画家。青森市の鍛冶職人の家に生まれる。ゴッホの絵に感銘し,画家を志す。1928年帝展に油絵が初入選したが,同年,木版画に転向した。37年日本浪曼派の保田与重郎らとの交友から日本的情感,東洋的美に開眼し,民話,神話を題材に制作,38年《善知鳥(うとう)》が文展で特選となった。民芸運動の柳宗悦,河井寛次郎らの知遇をうけ,〈無私の心に咲く無名の美〉を創作の根本とすることを自覚,以来,人間本来の素朴な情念を,原始の呪術性,宗教性を,広大な宇宙観を,大画面の版画にダイナミックに表現した。この表現が第2次大戦後,日本的表現主義という以上に,普遍的人間感情の表出として国際的に高い評価を得て,56年ベネチア・ビエンナーレで国際版画大賞を受けたのをはじめ,各種の国際展で受賞した。70年文化勲章を受けた。なお棟方は〈版画〉でなく,〈板画〉と書く。
執筆者:藤井 久栄
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