温かい水が地中から湧(わ)き出してくる現象が温泉である。一方、温かくはないが、鉱物質を多く溶かしている場合は通俗的に鉱泉とよぶ。これらの両者をあわせて、広い意味の温泉という。一般に、普通の地下水の温度はその土地の年平均気温より1~4℃高い。したがって、それ以上の温度の水が地下から出てくるときは、地下になんらかの特殊な熱源があると考えてよいので、自然科学的な意味では温泉である。しかしこの定義では、場所ごとに温泉でありうる温度が異なる不便があるので、国ごとに限界温度を規定している。たとえば、日本、南アフリカ共和国では25℃、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどヨーロッパ各国では20℃、アメリカでは21.1℃(70)以上を温泉としている。溶解成分については、日本の温泉法(昭和23年法律125号)では遊離二酸化炭素(イオン化していない二酸化炭素。遊離炭酸)、ストロンチウムイオン、マンガンイオン、総硫黄(硫化水素イオン+チオ硫酸イオン+硫化水素)、ラジウム塩など定められた18種の成分のうち、いずれか一つが規定値以上含まれていればよいことになっている。
[湯原浩三]
温泉は、温泉水の性質や湧き出し方によって種々の分類が行われている。温泉水の性質を水素イオン濃度(pH(ペーハー))によって分類するときは、pH2以下を強酸性泉、2から4までを酸性泉、4から6までを弱酸性泉、6から7.5までを中性泉、7.5から9までを弱アルカリ泉、9以上をアルカリ泉という。
また、溶解成分による分類では、温泉水1キログラム中の溶存物質総量が、ガス成分を除いて1000ミリグラム未満のものを単純泉(単純温泉)、1000ミリグラム以上あるものは、主要陰イオンと主要陽イオンと特殊成分を考慮して細かく分類する。従来使われている温泉の泉質名は、1978年(昭和53)に環境庁(現環境省)によって鉱泉中分析法が改訂され、泉質名は改められたが、従来の名称にもなじみ深いものが多い。
温泉がまったく天然に湧出(ゆうしゅつ)する自然湧出泉はその数がだんだん少なくなり、現在多くの温泉はボーリングされた孔井(こうせい)から湧出している。温泉がポンプなどによらず自然に湧き出してくる場合、これを自噴泉という。泉温が高くて沸騰状態にあるものを沸騰泉、主として水蒸気を噴出するものを噴気孔という。ボーリングによって噴気している場合は噴気井あるいは蒸気井とよぶ。また、硫黄(いおう)そのものや硫化水素、二酸化硫黄を比較的多く噴出するものを硫気孔、二酸化炭素を多く噴出するものを炭酸孔という。
温泉の成因に関係づけた分類では、火山活動と明らかに密接に関係している温泉を火山性温泉、火山活動とほとんど関係がないと思われる温泉を非火山性温泉とよぶこともある。
[湯原浩三]
地球上で温泉の多い所は北米、中米の太平洋側、アリューシャン列島、千島列島、日本、フィリピン、インドネシア、アフリカ東部・南部、地中海沿岸、アイスランド、ニュージーランドなどである。これらの地域のほとんどは大きな造山帯(アイスランドは大西洋中央海嶺(かいれい)の陸上部)で、火山帯を形づくっている所が多いので、地球上の温泉の多い所を含む地帯、すなわち温泉帯は火山帯と一致すると考えられてきた。しかし、中国、インド、シベリア南西部など、火山活動のあまり知られていない所にもかなりの温泉があり、これらの地域では温泉の分布と大きな構造線や褶曲(しゅうきょく)帯の分布とがよく一致している。したがって、温泉の分布は、火山帯をも含めた大きな地体構造によって支配されているということができる。
日本で温泉の多い地帯は、北海道の知床(しれとこ)半島から南西に延び、羊蹄(ようてい)山付近で南に折れ、奥羽地方の脊梁(せきりょう)山脈に沿って南下し、上信越地方を通って北陸から山陰に延びている。また、伊豆半島を通る南北の線にも多い。これらの温泉の分布を火山地質と比較してみると、大部分が第四紀火山帯に沿って分布する。そしてこの火山帯の多くは同時に第三紀火山活動の場でもある。また、第三紀の火山岩だけがあって第四紀の火山岩のない所にも多くの温泉が存在するので、第三紀の火山活動も温泉の生成に関係していると思われる。以上のほか、第三紀深成岩、半深成岩、第三紀以前の深成岩に関係のある温泉、油田地帯の温泉、水成岩、変成岩地域の温泉もある。
環境省の2002年(平成14)の発表によると、全国の保健所に登録されている温泉地の数は3023、源泉数は2万6796で、自噴およびポンプ揚水によって湧出している全量は1日換算で約376万トンに達している。
[湯原浩三]
温泉は、それがまったく天然のものであっても、ボーリングによって得られたものであっても、湧出口の位置を低くすると湧出量は増加し、高くすると減少する。ある高さになるとまったく湧出しなくなるが、この高さを温泉の静止水頭という。静止水頭が地表より上にある場合、温泉は自然に湧出し自噴泉となる。湧出量は、静止水頭と湧出口の高さの差に比例する。温泉水も地下水の一種であって、地下の多孔質層や岩盤の割れ目の中に存在し、静止水頭の高い場所から低い場所へ流動している。静止水頭はいろいろな原因で変化し、それにしたがって湧出量も変化する。
一般に、温泉湧出量に影響を与える原因は、大別して内的原因と外的原因に分けることができる。内的原因としては、温泉源の本質的な変化や温泉湧出経路の変化が考えられるが、これらは地震や火山活動などによりまれに急激におこるほかは一般には徐々におこる。しかし、普通は外的原因による変化のほうが顕著に現れるので、内的原因による変化だけを明確に取り出すことはむずかしい場合が多い。
外的原因としては、(1)降水の影響、(2)気圧の影響、(3)潮汐(ちょうせき)などの海水位変化の影響、(4)川や湖の水位の影響、(5)周辺の揚水による影響、などがある。降水量は平均的にみて季節的に変化するから、これによる湧出量変化も平均的には年変化または季節変化である。しかし、雨による変化は、降雨直後に影響が急激に現れるもの、降雨後緩慢に現れるものなどがあり、複雑である。また降雨の影響は降雨後数か月にも及ぶことがある。多くの場合、気圧の高低と湧出量の増減は相反し、低気圧の通過などによって湧出量は増加する。潮汐などによって海水位が上下すると、温泉の静止水頭も上下し、それにつれて湧出量も増減する。海水位の変動幅に対して温泉の静止水頭の変動幅は普通、数分の1で、海岸から遠ざかるにつれて小さくなる。また、海水位の変動に対して、温泉静止水頭の変動は時間的に遅れるのが普通である。川や湖の水位も、温泉に対しては海水位と同じような影響を与える。
いくつかの温泉が比較的狭い地域に集まっている場合には、一つの温泉をポンプなどによって揚水すると、近くの温泉の静止水頭が低下し、湧出量が減少することがある。このような揚水の影響は、近い温泉ほど大きく現れるのが普通であるが、ある場合には特定の方向にのみ影響が大きく現れることがある。
[湯原浩三]
温泉の湧出口における温度を泉温という。日本の温泉の泉温は50℃前後のものがもっとも多い。一つの温泉においても、泉温はつねに一定ではなく時間的に変化する。変化の仕方はいろいろで、短い周期の細かくかつ不規則な変化、半日周期の変化、1日周期の変化、1年周期の季節的変化、長い間の経年変化などがある。泉温変化をもたらす原因としては、気温変化、潮汐の影響、気圧変化、降水、地震、地殻変動、火山活動、揚水による影響などが考えられるが、それらの大多数は湧出量変化に伴って現れる。湧出量と泉温との関係は、湧出量の増加と泉温上昇が並行して現れるもの、湧出量が増加すると泉温が低下するもの、湧出量が増減しても泉温がほとんど変化しないものの三つの型がある。
[湯原浩三]
温泉水中にはいろいろな無機物質が溶けている。すなわち、希土類元素(ランタン系列元素)、白金族元素、アクチニウム系列元素のもの以外はほとんど温泉水中に検出されている。しかし、これらの元素はどの温泉水中にもすべて存在しているわけではなくて、特別な温泉にのみ含まれているものも多い。普通の温泉水中に存在する元素は、陰イオンとしてOH-、Cl-、Br-、I-、NO3-、HS-、SO42-、HSO4-、S2O32-、CO32-、HCO3-、HPO42-、HAsO42-、陽イオンとしてH+、Li+、Na+、K+、NH4+、Cu2+、Ca2+、Mg2+、Zn2+、Mn2+、Fe2+、Fe3+、Al3+、そのほか、非解離成分としてHBO2(メタホウ酸)、H2SiO3(メタケイ酸)、ガス成分としてCO2、H2S、N2、O2などがある。
水素イオン濃度はpH0.3(北海道十勝岳(とかちだけ)新々噴火口温泉)の強酸性泉から、アルカリ性の相当強いpH11.1(福井県遠敷(おにゅう)鉱泉)まで知られているが、水素イオン濃度と主要陰イオンとの間には、一般に、酸性温泉では SO4>Cl>HCO3、中性温泉では Cl>SO4>HCO3、アルカリ性温泉では Cl>HCO3>SO4という関係がある。
溶解物の総量は水1キログラム中に数十グラム以上も溶かしているものも珍しくはない。とくに多いものとしては、十勝岳新々噴火口温泉の1キログラム中約600グラム、九重(くじゅう)大岳(大分県)3号井の335.7グラム、ウクライナにあるモルシイン温泉の390グラムなどが知られている。
ほとんどすべての温泉水中には塩素イオンが含まれている。塩素量が海水より多い温泉として、日本では有馬温泉(ありまおんせん)(兵庫県)の天満湯の1キログラム中43.79グラム、湯殿山温泉(ゆどのさんおんせん)(山形県)の32.02グラムなどが知られており、外国でも岩塩地帯の温泉や油田塩水にその例が多い。これらの温泉水中の塩素イオンの起源としては、火山性の塩素、海水起源の塩素の2通りが考えられるが、個々の温泉水中の塩素について、そのいずれかを判定することは困難な場合もある。また海水起源にしても、地質時代に海水が陸地に閉じ込められた化石海水に由来するものもあり、海岸近くの温泉によくみられるように、現在の海水が地中に浸透してきて温泉水に混入しているものもある。
硫酸イオンもまたほとんどすべての温泉水中に存在する。硫酸イオンの生成過程としては、海水起源のもの、火山ガス中のSO2の酸化によるもの、石膏(せっこう)の溶出によるものなどが考えられている。
陰イオンとしてもう一つ重要なものは炭酸水素イオンであるが、これも、火山ガス中に含まれている二酸化炭素に起因するものか、堆積(たいせき)層中で有機物質の分解によって発生した二酸化炭素によるものかを判定することは非常にむずかしい。また、その起源が火山性か否かを問わないにしても、温泉水中の炭酸水素イオンが本来の温泉に溶けていたものか、あるいは湧出の途中で二酸化炭素の形でほかから付加されたものかを判断することもまた非常にむずかしい。さらに、温泉が湧出する途中で逆に二酸化炭素として逃げ出す場合もある。
前記の陰イオンとそれに対応する Na+、Mg2+、Ca2+、K+の陽イオンが普通の温泉水中の主要な溶解成分である。
温泉水中の溶解成分は個々の温泉によって異なっており、たとえば別府温泉(大分県)で、狭い範囲に単純温泉、ナトリウム‐塩化物泉(食塩泉)、ナトリウム‐炭酸水素塩泉(重曹泉)、単純硫化水素泉、ナトリウム‐硫酸塩泉(芒硝(ぼうしょう)泉)、酸性‐鉄(Ⅱ)‐硫酸塩泉(酸性緑礬(りょくばん)泉)などのいろいろな種類の温泉があるように、一つの温泉地の中にも種々の泉質の温泉が混在している。また一つの温泉についてもその溶解成分は時間的に変化する。その原因はいろいろあるが、ほとんど湧出量や泉温の変化に伴って現れる。すなわち、湧出量の変化をおこさせる諸要素が流動状況に変化を与え、それによって2種以上の温泉水や地下水または海水との混合割合が変化したり、あるいは地中での温度や流速の変化が化学成分の溶出の機構に影響して、結果的に温泉水中の溶解成分の時間的変化になって現れたものである。したがって、湧出量と泉温の関係が複雑であるのと同様に、湧出量と溶解成分との関係も複雑である。また、温泉水中にはラドン、ラジウム、トロンなどの放射性元素が含まれていることがあり、このような温泉を放射能泉という。
温泉水が地表に湧出して、圧力、温度が低下し、大気、岩石、土壌などと接触し、物理的、化学的、生物学的作用を受けて溶解成分の一部を沈殿して温泉沈殿物をつくる。
[湯原浩三]
火山噴火や地震によって温泉に異変を生じた例は多い。洞爺湖温泉(とうやこおんせん)(北海道)は有珠(うす)火山の1910年(明治43)の活動によってできた温泉として有名であり、近くの壮瞥温泉(そうべつおんせん)(北海道)の一源泉では1977年(昭和52)の活動時以前に泉温や溶解成分量が著しく増加した。火山活動のかなり前から泉温が徐々に上昇した例としては、十勝岳昭和火口の西3キロメートルにある吹上温泉(北海道)、吾妻山(あづまやま)の北東6キロメートルにある吾妻高湯温泉(福島県)などが知られている。また噴火と同時か直後に泉温が上昇した例としては秋田駒ヶ岳の南2.5キロメートルの国見温泉(岩手県)、雲仙普賢(うんぜんふげん)岳の南西2.5キロメートルにある大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)(長崎県)などが知られている。
地震の前兆として温泉に異常が生じた例としては、1923年の関東大震災のおこる1か月前から修善寺温泉(静岡県)の湧出量が減少したといわれ、蓮台寺温泉(れんだいじおんせん)(静岡県)の温泉水位は1935年(昭和10)7月11日の静岡地震5日前から約70センチメートル急上昇した。そのほか、地震のおこる前に湧出量や泉温が変化したり白濁したという報告もある。
地震の結果、温泉に異常を生じたという報告は多い。前記の蓮台寺温泉の水位は地震と同時に急に降下した。有馬温泉の泉温は1899年(明治32)の六甲(ろっこう)鳴動前には37℃であったものが、鳴動後には泉温が急上昇し、1916年(大正5)には53℃に達し、その後1930年(昭和5)には46℃まで降下した。関東大震災後には静岡県の熱海(あたみ)や伊東、神奈川県の湯河原などの諸温泉で湧出量、泉温ともに増加した例が多い。とくに、噴出をやめていた熱海大湯間欠泉が地震後急に噴出し、10日間継続したことは有名である。1946年(昭和21)12月21日の南海地震では別府温泉や道後温泉(愛媛県)で、1948年6月28日の福井地震では芦原温泉(あわらおんせん)(福井県)で、温泉が湧出しなくなった例があるが、これは温泉井のパイプなど人工施設の破損で、本質的な温泉要素の変化ではない。1964年6月16日の新潟地震に際して、温海温泉(あつみおんせん)など山形県の海岸にある温泉では泉温が10℃も低下し、湧出量が約半分になった。また、1965年8月~1966年11月の松代(まつしろ)群発地震では、3回のおもな活動期に対応して、加賀井温泉(かがいおんせん)(長野県)など近くの温泉の湧出量、泉温、塩化物含有量が増減した。城崎温泉(きのさきおんせん)(兵庫県)28号泉源の泉温は1995年(平成7)1月17日の兵庫県南部地震の前から上昇傾向にあったが、地震直後70℃から80℃に急上昇しその後81℃で安定した。
[湯原浩三]
温泉の湧出量や静止水頭は、前述のようにいろいろな因子が重なり合って、見かけ上複雑に変化している。また一つの湧出口だけについてみれば、長年月の間に静止水頭は低下し、湧出量は減少する傾向をもっている。しかし温泉地全体でみれば、開発の進展に伴って全湧出量が増加し、平均泉温も高くなっている例が多い。たとえば、上諏訪温泉(かみすわおんせん)(長野県)の湧出量は1926年(昭和1)には1日当り約6000キロリットルであったが、1959年には約1万1000キロリットルに増加している。熱海温泉でも、昔、熱海七湯とよばれた自然湧出泉はすでに数十年前に姿を消し、温泉井の静止水頭も深くなってしまったが、熱海温泉全体としての湧出量、および温泉によって地下から運び出される熱量は、自然湧出泉のあった時代とは桁(けた)はずれに大きくなっている。
有馬温泉や道後温泉など、少なくとも1000年以上も昔から知られている温泉では、歴史的には個々の湧出口が消滅したり、全体として泉温が低くなり、湧出量も減った時代もあったが、やがては回復し、とくに掘削技術の進歩によって、どこでも、昔に比べて、はるかに高温の温泉が大量に湧出するようになっている。
外国においても、古い温泉が現在も湧出を続けている例はいくらもある。ギリシアでは、紀元前1世紀に史上に現れたテルモピラエ温泉は、いまも温泉療養地として栄えているし、ギリシアの植民地であったシチリア島にあるシアッカ温泉は、トロヤ戦争の時代に開かれたといわれる。またイタリアでは、ローマ時代の温泉が現在も湧出を続けており、さらにその前のエトルリア時代に利用された温泉も現存している。一方、アメリカのイエローストーン国立公園の珪華(けいか)の沈殿速度は8、9か月間に約0.1ミリメートルから2.7ミリメートル程度で、現在みられる約6メートルの沈殿層ができるためには約1800年から4万年ぐらいかかるという計算になる。
温泉の寿命がどれくらいあるかということを正確に知ることは非常にむずかしいが、上述のように、古くから歴史上に記載されている温泉がほとんど現存している点や、温泉沈殿物の厚さから推算して、温泉の寿命は数千年以上のものと思われる。
[湯原浩三]
温泉の成因について考える場合、水の由来と熱の源について考える必要がある。温泉水の起源については古来いろいろの説がある。おもなものの第一は循環水説といわれるもので、降水が岩石の割れ目を通って地中深く浸透し、火山熱を吸収し、火山ガスや周囲の岩石から鉱物質を溶解してふたたび地表に湧出してきたものが温泉であるという説である。第二は岩漿水説(がんしょうすいせつ)といわれるもので、温泉水も熱や鉱物質とともに火山岩漿(マグマ)からの揮発成分に由来するというものであって、地表近くでの地下水の混入は認めるが、あくまで本来の温泉水はマグマ起源であるという説である。そのほか、マグマが冷却するとき分離した熱水溶液が温泉水の本源であるとする熱水溶液説、マグマが冷却するときに出る高温水蒸気によって冷地下水が熱せられたものが温泉であるとする噴気説などがある。
温泉水の起源については、酸素と水素の同位体による研究が進められている。たとえば、酸素の同位体18Oとジュウテリウム(二重水素)Dとの関係からは、温泉水中にはマグマ水がほとんど入っていないことがわかっており、トリチウム(三重水素)の研究からも、温泉水の大部分が循環水起源であることがわかってきた。
熱源については、火山活動に関係のあるものと、それと無関係なものが考えられる。後者では、正常な地温をもった地殻の熱、地殻運動による摩擦熱、化学反応熱、放射性物質による発熱などがある。実際、「分布」のところで述べたように、火山活動の考えられない地域に存在する温泉の熱源としては、このような非火山性熱源を考えなければ説明ができない。しかしこれらの熱源は熱量に限りがあり、大きな温泉から運び出される熱量をまかなうにはどうしても火山性の熱源を考えなければならない。
温泉の熱源を火山活動とするとしても、マグマから熱のみが伝導的に供給されている場合と、熱伝導以外にマグマ起源の水蒸気や熱水などの物質によって熱が供給されている場合とがある。比較的浅所にマグマが貫入すると、熱伝導だけでもかなりの熱量を供給することができるが、やはり放熱量の大きな温泉の熱量は熱伝導だけではまかないきれないので、高温の水蒸気や熱水の混入を考えなければならない。
温泉水中の溶解成分の起源を考えるに際して、温泉水は岩漿性熱水溶液が地下水で薄められたものとする立場をとると、それらの大部分はマグマ起源ということになる。またマグマから発散した火山ガスは分化の時期によって組成が異なるので、これらの火山ガスが地下水に溶けると種々の温泉ができることになる。一方、火山ガス中の二酸化炭素について炭素の同位体を測定した結果によると、火山ガス中の炭素は石灰岩の熱分解によって生じたことを示しているといわれている。そのほかの元素の同位体の研究からも、火山ガス中の成分さえもかならずしもマグマ発散物ばかりではなくて、海成層から由来したものもあるといわれている。前述のように、温泉水の大部分が循環水であるので、溶解成分も、天水が地下を循環する過程で岩石から溶かしてきたものが多いことになる。岩石と温泉水の反応は温度に大きく支配されるので、逆に温泉水中のケイ酸の量やナトリウムとカリウムの比などから、岩石と温泉水が反応したときの温度、すなわち温泉の本源の温度を推定することが行われている。このような方法で温度を求めることを地化学温度計による方法という。
[湯原浩三]
温泉を医療に用いることは古くからヨーロッパや日本で行われてきた。とくにヨーロッパの温泉利用は主として医療目的で、大きな温泉療養所を中心に保養地となっている所もある。温泉療法では、浴用のほか、飲用、吸入、運動浴、鉱泥療法などに温泉が利用されている。日本では入浴好きの国民性を反映して、浴用利用がもっとも盛んであって、温泉を中心として観光地ができ、熱海や別府のような都市にまで発展する。2000年度(平成12)の温泉地の宿泊施設数は1万5548に達している。
温泉の一次産業への利用としては、温泉熱を利用した施設園芸がある。すなわち、メロン、バナナ、パパイヤなどの果実や洋ランなどの花の栽培、キュウリ、トマトなどの野菜の促成栽培、熱帯植物園などの観光温室の経営が諸所で行われている。また、伊豆の下賀茂温泉(静岡県)や別府温泉では養鶏に温泉熱を利用して成功しており、鹿部温泉(しかべおんせん)(北海道)などでは温泉水を用いてウナギの養殖を行っている。伊豆熱川温泉(いずあたがわおんせん)(静岡県)の温泉熱利用のワニ飼育も有名である。
温泉熱を製塩に利用することは、以前は指宿温泉(いぶすきおんせん)(鹿児島県)、小浜温泉(長崎県)、鹿部温泉などで行われたことがあるが、現在は採算がとれなくなってやめている。温泉熱の工業的利用は、農産物の加温乾燥、醸造、製菓などに小規模に利用されている例があるにすぎない。
寒冷地では、温泉熱を利用して旅館や住居の室内暖房をしている所もあり、これを拡大して地域暖房計画に温泉を利用することが検討されている所もある。北海道の定山渓温泉(じょうざんけいおんせん)などでは、泉源から旅館へ送るパイプを道路に埋め、それによって道路融雪を行うとともに、湯の温度を浴用に適した温度まで下げるという一石二鳥の効果をあげている。温泉の熱エネルギーを利用して発電する地熱発電は、20世紀初頭以降世界各地で行われるようになってきた。
[湯原浩三]
日本は火山国のためか各地に温泉がみられる。温泉については、その発見などについていろいろの伝説が語られている。そのなかで高僧にまつわる伝説や傷ついた鳥獣が温泉に浴して全治したという伝説がわりあいに多く伝えられている。若干の例をあげると、まず伊豆(静岡県)の修善寺温泉(しゅぜんじおんせん)には、そこに流れる桂(かつら)川の中に独鈷の湯(とっこのゆ)というのがある。これは弘法大師(こうぼうだいし)が川中の岩石を独鈷で砕いて、温泉が湧き出るようにしたといわれている。熊本県の杖立温泉(つえたておんせん)にも、弘法大師がここに浴し、薬師如来(にょらい)の像を彫って霊泉寺という寺を建立したという伝えがある。
傷ついた鳥獣が浴して治癒したことで温泉を発見したという伝説は各地にある。鶴(つる)の湯というのが青森県黒石市温湯(ぬるゆ)、山形県鶴岡(つるおか)市温海(あつみ)町にあり、山形県上山(かみのやま)市の鶴脛温泉(つるはぎおんせん)は、僧月秀が、脛の傷ついた鶴が浴するのを見てこの温泉を発見したという。いずれも傷の治った鶴は元気に飛び去ったという。青森県むつ市川内町には、鶴でなく鷺(さぎ)の湯というのがあり、島根県安来(やすぎ)市にも同名の湯がある。日本でもっとも古いといわれる伊予(愛媛県)の道後温泉も、白鷺が岩間に湧く温泉で傷を治し、それを目撃したことで発見されたという。さらに、秋田県大仙(だいせん)市には鴻(こう)の湯、福井県大野市には鳩(はと)湯があり、山梨県甲府市には鷲(わし)の湯がある。また、新潟県十日町(とおかまち)市松之山(まつのやま)の鷹(たか)ノ湯は、猟師が傷ついた鷹の浴しているのを見て発見したという。
次に獣類の話では鹿(しか)の湯というのが多い。長野県南佐久郡南牧(みなみまき)村、同県小県(ちいさがた)郡、岐阜県恵那(えな)市、三重県菰野(こもの)町などに、いずれも鹿の湯というのがある。福井県大野市には鹿井の湯がある。長野県上田(うえだ)市には鹿教湯温泉(かけゆおんせん)というのがあり、猟師に射たれた鹿が、この湯で傷を治しているのを見て知られたという。伊豆の伊東市には猪戸温泉(ししどおんせん)というのがあり、手負い猪(いのしし)がここで浴して傷を治したという。さらに、猿の湯というのが青森県西津軽郡に、亀(かめ)の湯というのが石川県河北郡内灘(うちなだ)町にあって、傷ついた亀がたくさん浴していたという。亀がどうして傷ついたかは不明である。
温泉場には独特の年中行事がある。広くみられるのは正月の初湯の行事である。兵庫県の有馬温泉では正月2日に湯始めの式を行っている。温泉寺を開基した行基(ぎょうき)と、温泉を再興して十二坊を建てた仁西(にんさい)上人の木像を祀(まつ)って入湯式を行い、旅館の主人、町の有力者などが参加して式後町内を巡行する。静岡県の熱海温泉(あたみおんせん)でも、同じく正月2日に湯祝いといって、家々では主人、共同風呂(ぶろ)では管理人がまず入って初湯の祝いをする。群馬県長野原町の川原湯(かわらゆ)では、正月20日に湯かけ祭というのを行っている。早暁、温泉神社で神酒をいただき、ついで大湯の中に入って「お祝いだ、お祝いだ」と叫びながら互いに湯をかけ合う。そして湯舟の中で酒杯をあげる。新潟県の松之山温泉では、正月15日の左義長(さぎちょう)の火祭に、灰や泥を人々が互いに身体になすり合い、そのあと入湯して洗い落とす。和歌山県田辺(たなべ)市本宮町の熊野本宮大社(熊野坐(にます)神社)では、4月13日に湯峯(ゆのみね)行事または湯登(ゆのぼり)という行事がある。湯の峰温泉で祭りに参加する者一同が入湯潔斎(けっさい)してから祭事を行っている。鳥取県東伯(とうはく)郡の三朝温泉(みささおんせん)は、源義朝(よしとも)の家臣大久保左馬之祐(さまのすけ)が、主家再興祈願のため三徳山に参詣(さんけい)の途次妙見菩薩(みょうけんぼさつ)の示現によって発見した温泉と伝えられているが、その発見日の旧暦4月8日、現在では新暦5月3日、4日に花湯祭を行い、綱引がある。熊本県山鹿(やまが)市の山鹿温泉祭は4月上旬に行われる。そのおこりは、1471年(文明3)に温泉が突如枯渇したので住民は非常に困ったが、金剛乗寺の法印、看明大徳(かんめいだいとく)が祈祷(きとう)して再興させた。その謝恩のため、この祭りは行われるという。多くの温泉場には温泉神社というのがあって、その祭礼が温泉祭として行われている。温泉は鳥獣が浴して傷を治したという伝説があるように、医薬が十分でなかった時代には、外傷、胃腸病、皮膚病、神経痛、婦人病などにそれぞれ効能があるといわれて、入湯保養する風が全国的にみられる。
[大藤時彦]
日本人にとって温泉は、入浴が主たる目的であるが、ヨーロッパの場合、休養・娯楽のためや、けが・病気などの治癒のために出かけることは同じでも、温泉の水を飲むことのほうが盛んである。温泉の効用はまた、キリスト教の聖者の伝説と結び付いた泉のもつ呪力(じゅりょく)の観念を背景としている。イギリスのバックストンの温泉は、聖アンとよばれ、不妊の人や障害のある人が多く集まった。一方で、古代のギリシア人やローマ人も温泉に浴し、ことにローマ人は入浴を好んだ。彼らは大都市に共同浴場を設けるとともに、ヨーロッパ各地に温泉地を開いた。イギリスのバース(ロンドンの西方約160キロメートル)の温泉は、ローマ人のつくった浴場と伝わる。大陸部で、現在も有名な、ドイツのウィースバーデンやバーデン・バーデン、スイスのバーデンなども、かつてローマ人の利用したものである。ローマの共同浴場は、冷水浴、微温浴、高温浴などのさまざまな入浴方法の施設があるばかりでなく、多くの店舗、競技場、休憩室やマッサージ室、さらには図書館や美術館までも付設していた。すなわち都市の共同浴場や温泉は、社交や娯楽の場として存在していた。共同浴場の風習はイスラム世界に取り入れられ、さらにそこからヨーロッパに逆に影響を与えて温泉の利用を盛んにしていった。ことに18世紀から19世紀にかけては、初夏の保養地として温泉場が利用された。そして温泉場には、ローマ時代と同じように、さまざまな社会施設や娯楽の設備が設けられている。
[田村克己]
『湯原浩三・瀬野錦蔵著『温泉学』(1969・地人書館)』▽『るるぶ社国内ガイドブック編集部編『全国温泉案内』(2000・日本交通公社出版事業局)』▽『白倉卓夫監修『医者がすすめる驚異の温泉』(2001・小学館)』▽『野口冬人編『効能別全国温泉めぐり――大評判の温泉療法』(2002・交通新聞社)』▽『飯島裕一著『温泉で健康になる』(2002・岩波書店)』▽『サンブックス編著『世界の温泉&SPAリゾート』(2002・星雲社)』▽『日経産業消費研究所編『全国主要温泉地の魅力度調査――専門家アンケートと事例』(2003・日本経済新聞社)』
兵庫県北西部、美方郡(みかたぐん)にあった旧町名(温泉町(ちょう))。現在は新温泉(しんおんせん)町の中央から南部を占める一地区。1927年(昭和2)湯村(ゆむら)温泉を母体に町制施行。1954年照来(てらぎ)、八田(はった)の2村と合併。2005年(平成17)温泉町は浜坂(はまさか)町と合併して新温泉町となる。旧町域南部の扇ノ山(おうぎのせん)などの山地とそれを刻む岸田川沿いの狭長な低地からなる。米作のほか但馬牛(たじまぎゅう)の主産地であり、ナシ、ダイコンの栽培も盛ん。但馬杜氏(とうじ)として冬季酒造出稼ぎも多い。旧山陰道を踏襲する国道9号が整備され、熱泉98℃の湯村温泉は県立但馬牧場公園と同スキー場とともに観光の中心である。
[大槻 守]
『『温泉町誌』(1967・温泉町)』▽『『温泉町史』全3巻(1984~1996・温泉町)』
地球内部の熱により温められた地下水の自然にわき出る現象が温泉である。成分に着目すれば無機物質を多量に溶かしている泉水を鉱泉と総称し,そのうち温度が比較的高いものを温泉,冷たいものを冷鉱泉と呼ぶ。
日本の温泉法(1948制定)では,温泉を,地中から湧出する温水,鉱水および水蒸気,その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)で,表1の温度または物質(いずれか一つ)を有するものと規定している。これによると火山ガス,火山性水蒸気,25℃未満の鉱泉も,一般常識と多少かけ離れているが,温泉とされる。
環境庁鉱泉分析法指針では温泉を温度により表2のように分類している。
人間の体温と同じ泉温で入浴すると緊張がほぐれ,精神が安静化する。上記泉温の分類は入浴温度に注目してなされている。温泉を地熱発電,地熱暖房の目的で利用しようとする場合は,流体(液相+気相)の熱含量が200kcal/kg(泉温に換算して約200℃)以上でないと高温泉とはいえない。暖房のみの利用では規定はないが70℃以上あれば高温泉といえる。
→温泉療法
鉱泉分析法指針では温泉の液性を,湧出時のpHによって表3のように分類している。
酸性泉は物質を溶かす力が強く,したがって成分的に温泉法に該当する泉質を生じやすい。アルカリ性泉は反対に物質が沈殿しやすいため,溶存物質量だけでは温泉法に該当しない例が少なくない。酸性泉は刺激が強く,入浴による湯中(ゆあたり)になりやすいので注意を要する。
生物細胞の物質代謝は,細胞膜内外の塩類濃度差から生ずる浸透圧の大小が大きく関与する。人体の細胞液と等しい浸透圧をもつ泉水を等張泉,それ以下のものを低張泉,それ以上のものを高張泉として分類する。この区別は溶存物質総量,または泉水を冷却したときの凝固温度によって表4のように行われる。
温泉は地中から湧出するが,岩石を構成している主要元素,例えばSi,Al,Fe,Mgなどは少なく,溶液中で簡単なイオンとして存在するNa,Cl,SO4などに富む。陰陽両イオン量は溶液の電気的中性を保つように存在する。温泉を蒸発乾固すると溶存物質は塩化物,硫酸塩,炭酸水素塩,炭酸塩の形をとり,それらの大部分は水によく溶解する塩類である。したがって古くから温泉の化学的性質(泉質)は主要塩類を付して表現されている。温泉を療養に利用する目的で,鉱泉分析法指針は泉質を次のように分類する。(1)溶存物質量が1g/kg以上のものを塩類泉,(2)1g/kg未満であるが泉温が25℃以上のものを単純温泉,(3)表1に掲げる特定物質を限界値以上含む温泉,に大別し,それぞれのグループは溶存成分の大小によって表5のように細別される。
特殊成分を含む塩類泉の分類,副成分による塩類泉などの分類が温泉の化学分析をもとにしてさらに行われ,泉質数は80種にも達する。現在は,溶存する主要イオン名を並べて泉質を表現するように改められ,古くからの塩類名を用いた泉質名は用いないようになった。しかし,古い温泉分析表が温泉にまだ掲示されている例が多く,旧泉質名の方が新泉質名より簡潔な表現になっているので両者の併用がしばらくは続くであろう。
温泉の湧出状況は地熱活動の強弱,溶存ガスの多寡,地質構造などの違いによってさまざまである。(1)自噴泉(または湧泉) 自然に湧出する温泉。(2)沸騰泉 泉水が沸騰し,水蒸気とともに噴出する高温泉。(3)間欠泉 沸騰泉のうち,温泉の噴出・休止が周期的に行われる温泉。(4)泡沸泉 二酸化炭素,メタンガスなどの気泡とともに湧出する温泉で,泉温は水の沸騰点以下の場合が多い。(5)裂罅(れつか)泉 岩石中の割れ目から湧出する温泉で,脈状泉ともいう。(6)層状泉 礫層や砂層のような層状構造をした地層中から湧出する温泉。
温泉は火山活動と深い関係がある。しかし,火山のない所でも温泉がある。熱エネルギーを火山活動から受けている温泉を火山性温泉,そうでないものを非火山性温泉と称する。両者の区別は概念的には容易であるが,個々の温泉について区別するときは容易でない場合が多い。
世界で最も温泉地の多いのは日本で2053ヵ所,次いで中国1900ヵ所,アメリカ合衆国1003ヵ所,アイスランド516ヵ所,イタリア149ヵ所,フランス124ヵ所などとなっていて(1980年現在),世界中いたるところに多数の温泉,鉱泉地が知られている。多量の塩分を含む鉱水ならば,地下深くまで掘ると世界中どこでも見つけることができ,断層に沿って温泉,鉱泉が湧出することはよく知られている。しかし,地熱発電を可能とするような高温地熱地帯の分布は火山分布,褶曲山脈分布,地震分布とほぼ一致している。地球表面を十数板の巨大岩盤(プレート)に分け,水平に移動するプレートの衝突,重なり合い,離れ合いなどの相互作用によって地球上の変動帯を説明するプレートテクトニクスによれば温泉の分布は次のように分類される。
(1)プレート境界沿いに分布する温泉 (a)プレート沈み込み境界陸側沿いの温泉 環太平洋弧状火山帯:日本,台湾,フィリピン,ニュージーランド,アレウト列島,カナダ西岸,アメリカ西岸,メキシコ,グアテマラ,コスタリカ,ペルー,チリなどの温泉。地中海火山帯:イタリア,ギリシアなどの温泉。(b)プレート生産地帯の温泉 大西洋中央海嶺:アイスランド。東太平洋海膨:カリフォルニア湾口水深2700mの海底温泉,ガラパゴス海域の海底温泉。紅海の中央部水深2000mの海底温泉など。
(2)プレート内部の温泉 (a)海のプレート内の温泉 ハワイ島の火山性温泉など。 (b)陸のプレート内の温泉 ドイツ,フランスのライン地溝帯に沿う温泉,フランスのオーベルニュ火山群に伴う温泉,中国大陸の断層系に沿って分布する温泉,東アフリカ地溝帯に分布する温泉。ヨーロッパ,中国,インド,バイカル湖付近,パミール高原など現在の火山と関係のない地域の温泉は,第三紀~第四紀の褶曲帯や大断層系と一致した分布をなす。
1980年現在の日本の温泉地数は2053ヵ所である。1931年では863ヵ所であった。第2次大戦後の観光の大衆化によって,観光資源として多数の温泉地が開発された。現在でも毎年数ヵ所ずつ温泉地が増加している。日本列島の高温泉の分布は第四紀火山帯とよく一致する。なお,新第三紀の火山活動に関係ある紀伊半島の白浜,勝浦,兵庫県の有馬などのような温泉も多い。四国道後温泉の熱源となる火成岩体はさらに古く,白亜紀の花コウ岩であるといわれている。このほか火山と関係ない温泉,たとえば石油や天然ガスを求めて掘削された井戸から湧出した最上,新津,松之山,瀬波,焼津などの温泉がある。
1源泉当りの湧出量は毎分数lから数百lである。毎分1000l以上の湧出量の源泉はあまり多くはない。大量の温泉湧出があるためには,十分な降雨量と,透水性の大きい地層,しかも大量の地下水を温めるに足る十分な地熱の補給が保たれていなければならない。アイスランドでは溶岩流相互の多孔質な境界あるいは溶岩トンネルから毎分数千lの温泉湧出をするところがあり,このような例が湧出量の上限であろう。日本では登別,玉川,箱根姥子(うばこ),別府などで毎分1000~3000lを湧出する源泉がある。毎分100l程度を湧出する源泉は良好な温泉である。
1温泉地当りの湧出量は毎分4万l程度が上限である。草津3万4240l/min,別府2万2200l/min,箱根1万8474l/min,熱海1万6290l/min,蔵王1万5000l/min,登別1万0390l/minなどが日本の湧出量の大きい温泉地である。プレート生産地帯ではマグマの生産量がプレート沈み込み地帯の数倍に達しているので,降水量や地質条件に恵まれていると大きな温泉湧出量を示すことになる。その好例がアイスランドである。
温泉放熱量は泉温と湧出量の積で求められる。泉温の範囲はある地域の年平均気温から水の沸騰点までである。温泉湧出量の範囲は毎分数lから数万lで,温度に対し変化する範囲が2桁も大きい。したがって温泉放熱量の大小は湧出量の大小によって大きく左右される。温泉地の熱的規模を評価するために福富孝治は表6に示した0からⅦまでの熱階級区分を提唱した(1961)。熱階級0~Ⅲは温泉湧出量が毎分2000l以下の小規模温泉地であり,熱階級Ⅳは2000l/min~6000l/minの中規模温泉地,熱階級Ⅴは5000l/min~2万l/minの大規模温泉地といったぐあいである。熱階級Ⅵは登別,草津,箱根,別府,雲仙-小浜などのように火山活動に準ずる規模の温泉湧出や,火山性水蒸気の噴出をなす地域となる。熱放散量の小さい,熱階級0からⅢまでの温泉熱源は,地下の高温物体から岩石の熱伝導だけで熱が移動し,地下水を温め,温泉となったという計算が成り立ち,温泉水にマグマから直接熱水が加えられなくても熱的説明ができる。しかし,熱階級Ⅳ以上の温泉地では,マグマからの熱は熱水や水蒸気によって運搬され,地下水と混合し温泉となったとしなければ熱的説明が不可能であることを福富は指摘した。
日本の温泉総湧出量は現在169万l/minである。日本の地下水の平均温度を14℃,温泉の平均温度を50℃とすれば,日本の全温泉放熱量は,6.1×107kcal/min(13.4×1023erg/年)となる。中村一明は日本の火山噴火による年平均エネルギー放出量を4~6×1023erg/年と見積もっている(1982)。これと比較すると,温泉による放熱量は火山噴火の放熱量の2~3倍に達している。日本列島からは7.3×1024erg/年の地球内部エネルギーが地殻熱流量として放散されている。それは全温泉放熱量の10倍以上になっているが,単位面積当りの地殻放熱量は69erg/cm2・s(1.65×10⁻6cal/cm2・s)と小さな値である。
温泉が誕生するためには,地中の熱を熱伝導や流体移動によって地表に伝えるシステムが形成されることが必要である。このシステムを地熱系と呼ぶ。良好な地熱系の形成には,(1)地下水を暖める熱源があること,(2)温泉となる地下水が定常的に供給されること,(3)暖められた地下水が地表水の浸透による冷却から守られるような地質構造をもつことが必要である。
火山地帯では地下深部から上昇してくる高温マグマが温泉の熱源である。上昇してきたマグマが地表近くにとどまると,そこに良好な熱源が生まれる。マグマの粘性の大きい安山岩~流紋岩質マグマは噴火活動を終えてもその位置にとどまっているので,地熱系の形成にとって重要な要因である。粘性の小さい玄武岩質マグマは火山噴火後再び地下深部のマグマ溜りに戻りやすいので,地熱系が地表近くに形成されにくい。火山活動が長期にわたり,繰り返して同一の火道を使って行われる複成火山では,火道を取り囲んで高温地熱系が形成される。これに反し,火道が1度しか使われない単成火山では,すぐにマグマが冷却されてしまうので地熱系が育ちにくい。しかし,いくつもの単成火山が群をなしている場合には地熱系が形成される。
熱源となるマグマ溜りの大きさが半径数kmの球体の場合,冷却するのに20万~30万年,半径十数kmのマグマ溜りでは200万~300万年と推算されている。日本の大型複成火山程度のマグマ溜りの熱的寿命は数十万年程度と考えられる。マグマ以外で熱を発生するものとして,断層運動の摩擦熱,地下での化学反応による発熱もあるが,温泉の熱源としてあまり重要視することはできない。
熱階級Ⅴ以上の有力な温泉地では毎分数千l以上の温泉湧出がある。このような大きな湧出量をもつためには砂礫層にも匹敵するような大きな透水係数をもつ温泉脈がなければならない。大きな透水性をもつ地層が地表にまで達していれば,地表からの雨水の浸透によって,地熱系は冷却されてしまい,長年月にわたり温泉が湧出することはできない。有力な高温地帯ではしばしば難透水性の緻密な地層(キャップロック)によって,深部熱水系が覆われており,キャップロックは地表からの冷水の侵入を阻止し,地下の熱水が自由に地表に流出するのも制限している。キャップロックをもたなくても,緻密な岩盤中の割れ目系に熱水が形成される例がいくつもある。例えば伊豆半島では,この地域の第四紀火山の土台となっている湯ヶ島層群と名づけられている第三紀中新世の緻密な地層中の割れ目系に熱水が貯留されている。割れ目をもつ湯ヶ島層群は透水性が適当に小さく,地表からの冷水の侵入を防止し,地熱を保護する働きをしている。
地球内部の熱はマグマの移動によって最も大量に移動するが,火山噴火で見られるように激しい現象を伴うので,温泉資源として直接利用はできない。人間が利用しやすい地熱エネルギーは水を主とした流体の移動によって地表に達する。水の関与する程度,地熱温度に着目して,地熱系は表7のように分類される。
(1)熱水卓越系 熱水が中心となるもので,日本の温泉の大部分はこの系に属する。地熱発電が可能な有力地熱地帯(熱階級Ⅴ以上)の熱水は塩化ナトリウムに富み,ケイ酸に飽和した中性ないし弱酸性の塩化物泉である。この意味でナトリウム-塩化物泉が熱水卓越系の代表的泉質ということができる。温泉湧出量は毎分数十lから数千lの範囲にあって大きい。
(2)蒸気卓越系 イタリアのラルデレロ,カリフォルニアのガイザーズ,日本の松川地熱系では〈乾いた水蒸気〉が噴出する。このような地熱系を蒸気卓越系と呼び,熱水卓越系と区別する。乾いた水蒸気は直接発電機のタービンに送り込めるので,発電に好都合である。蒸気卓越系は液相と気相の水が共存する2流体相の地熱系である。地中の流体相の圧力分布は水蒸気圧によって支配される。したがって深さの変化に対しての圧力の変化は小さく,熱水卓越系では水柱の高さによって圧力が与えられるのとは著しく異なる。乾いた水蒸気は気相-気・液2流体相の境界付近の流体が断熱的にフラッシングをしながら地表に達することによって得られる。蒸気卓越系の熱流体の特色は塩化物の含有量が著しく少ないことで,地表に見いだされる噴気地帯の温泉はpH2~3の硫酸塩泉である。地表近くで火山ガス中の硫化水素が酸化して硫酸が生成される。蒸気卓越系は水の臨界条件(約374℃,約220気圧)より低い温度・圧力条件での熱水の蒸溜と見ることができる。揮発性の小さい塩化物,硫酸塩は地下の液相に残され,揮発性の大きな硫化水素,二酸化炭素などが水蒸気中に濃集する。熱水卓越系での活動が長く続き,割れ目に熱水鉱物が晶出して,系内への水の侵入が制限されると,熱水卓越系から蒸気卓越系へ変化する。
(3)岩圧砂岩系 上部を不透水性の泥岩で覆われた透水性の良い砂岩中に著しく被圧した熱水が含まれていることがある。熱は地球内部から熱伝導により供給される。このような熱水系を岩圧砂岩系と呼ぶ。急激に大量の堆積物が生じ,地層中に閉じ込められた水が上に重なる地層の荷重の一部を支えるために,異常高圧の地下水系が生まれる。結晶水の多い粘土鉱物が地熱で温められ,脱水反応によって大量の水が放出され,異常高圧を与える場合もある。メキシコ湾岸地域の岩圧砂岩系の熱水は塩分濃度が5000mg/lの低い値(海水塩分3万5000mg/lに比較して)を示し,これは結晶水の放出によるものと推定されている。日本では大規模な岩圧砂岩系はまだ見つかっていない。1965年から69年まで続いた松代群発地震では,大量の塩化カルシウム型地下水(微温泉)が噴出した。岩圧系の地下水の一例と考えてよい。
(4)高温岩体系 地下に高温の岩体が存在するが,熱水や水蒸気を伴わない地熱系を高温(乾燥)岩体系と呼ぶ。高温岩体系では水の流れる割れ目が少ないので,人工的に水を圧入して割れ目を作り,水を流して高温岩体の熱を地表に取り出す技術開発が進められている。アメリカのニューメキシコ州バイヤス・カルデラでの実験は有名。富山県黒部川上流の仙人谷は小規模ながら日本の高温岩体系である。
(5)溶融岩体系 地下に存在するマグマ溜りを指す。火山爆発の根元であるマグマ溜りは大量の地熱源であるが,危険が大きいので,地熱資源としての利用は行われていない。
地下深部から上昇してくる温泉には地表の水と違う性質,成分が含まれていると期待され,古くから温泉の成因について次のような説が出されている。
(1)処女水説 マグマには数%程度の水が含まれている。マグマが冷却固結すると大部分の水は液相として分離される。この分離された水が処女水である。チェコスロバキアの有名な温泉カルロビ・バリ(旧名カールスバート)温泉の起源について,オーストリアの地質学者E.ジュースは処女水説を主張した(1902)。この地域の降水量に対してカルロビ・バリ温泉の湧出量が著しく多いこと,温泉に含まれる炭酸物質や塩化ナトリウムなどの起源は地下深所のマグマに求めるべきであるというのが理由である。
(2)循環水説 アイスランドの温泉を研究したR.W.ブンゼンは降水が岩石の割れ目を通って地中深く浸透し,火山熱によって熱せられ,岩石の成分を溶解して地表に湧出したものが温泉であると主張した(1847)。
(3)化石海水説 石油や天然ガスを求めてボーリングをすると温泉が湧出することがある。地層が堆積するとき,地層中に閉じ込められた海水が温泉水のもと。
温泉の定義には成因が含まれていない。どの温泉成因説が成立するかをそれぞれの温泉の研究によって明らかにすることがたいせつである。
温泉は谷底に湧出する。地下から温泉が湧出するには地表近くの冷地下水を押しのけて地表に達しなければならない。山体の地下水分布は地形の高低に強く支配されている。山頂部では谷底より水頭が高いので,温泉は水頭の低い谷底に湧出しやすくなる。新しい火山体では,深い谷が刻み込まれていないので地表に温泉が湧出しない例が多い。中央火口から離れた山麓,あるいは,火山の土台となっている緻密な地層中に温泉が見いだされている。温泉湧出に最も有利な条件をもつのはカルデラである。成層火山の成長期が終わると火山体上部が環状に陥没し,カルデラが生じ,一般に水がたまりカルデラ湖が形成される。さらに浸食によってカルデラ内の水が排出されると,カルデラの底に多数の温泉が湧出する。カルデラを生ずる火山活動は一般に104~106年の長期間続くので,十分な熱源が形成され,しかも高い水頭をもつ火山体が崩壊し取り去られ,土台の緻密な地層が地表に露出するなど熱水系形成,温泉湧出の好条件に恵まれることになる。
図1はD.E.ホワイトが描いた熱水系成因モデルである(1967)。カルデラ状あるいは地溝状の凹地の地下深部に熱源のマグマ溜りがある。雨水は陥没を生じた断層に沿って地下深部の熱水貯溜層(透水層)に進む。地下の熱源からは岩石の熱伝導による熱エネルギーおよび火道などの割れ目を通って,熱エネルギーとともにマグマの揮発性物質を含む流体が透水層中の天水に加えられる。冷地下水は熱せられて低密度流体となり,キャップロック中の割れ目を通り地表に温泉として湧出する。図1の左はこのモデルの温度分布を理想化したものである。地下深部にある高温高密度の水には各種の塩類が気相中に存在している。地表近くの高温水は低密度のため硫化水素,二酸化炭素などの揮発性物質を含む水蒸気となって地表に噴出する。
地熱系の中心から低温の周辺部に向かって泉質に規則的な変化が見られる。その分布状況を地図上に表現したものを泉質の分帯図と呼ぶ。箱根火山の温泉では主要陰イオンである塩素,炭酸物質,硫酸基に注目して図2のような泉質分帯図が描かれている。第Ⅰ帯は酸性硫酸塩泉である。現在噴気活動の行われている地帯の浅層地下水が酸性硫酸塩泉である。硫酸イオンが含まれるのは噴出する火山性水蒸気中の硫化水素が地表近くで酸化され硫酸が形成されるためである。第Ⅱ帯は重炭酸塩硫酸塩泉である。この温泉はカルデラの深さ300~700mのボーリング孔から採取される。中央火口丘堆積物の基底部に形成されている深層地下水が重炭酸塩硫酸塩泉である。第Ⅰ帯の温泉や地表水が地中を浸透し,岩石中の硫酸塩物質,炭酸塩物質を液相中に取り込んで,本泉質が生ずる。第Ⅲ帯は高温の塩化物泉である。噴気活動の活発な中央火口丘神山の地下深部から3本の高温塩化物泉脈となってカルデラ東部を深く刻み込む早川渓谷に向かって流下している。地下深所のマグマから分離した高温高圧の水蒸気中に塩化ナトリウム,ケイ酸が気相となって含まれ,第Ⅱ帯の深層地下水に混合して第Ⅲ帯の泉質が生じる。この泉質は中性で,溶存物質の85%が塩化ナトリウム,10%がケイ酸である。第Ⅳ帯は混合型と呼び,塩化物,硫酸塩,重炭酸塩がさまざまの割合で含まれる。カルデラ東部を深く刻み込む早川,須雲川の谷に沿って分布する。泉質分帯図は東西非対称で,熱水系には西から東に向かう流れがあることを示している。
銅,鉛,亜鉛,金,銀などの金属鉱床,石英,カオリン,雲母などの非金属鉱床は大規模な熱水活動によって形成される。地表に湧出する温泉は地中でさまざまな元素を移動,濃集させた後の鉱液と見ることもできる。温泉中の塩類量が海水以上に濃厚である場合,あるいは高温酸性泉の場合には重金属が温泉中に含まれている。カリフォルニア州南部の塩湖ソルトン湖の地熱地帯で掘られた2000mのボーリング孔井から採取された熱水は,海水の数倍の塩分をもつ塩化物泉で,この中に銅3~8ppm,鉛80~100ppm,亜鉛500~540ppmが含まれ,金属鉱床を形成する鉱液として注目された。六甲山地北麓の有馬温泉では塩分濃度が海水の2倍あり,地下から取り出されたボーリング・コアの割れ目には鉛,亜鉛,銅を含む硫化鉱物が認められ,金属鉱物を晶出している温泉として知られている。塩分の低い,通常入浴に利用されている温泉中には,問題となるような重金属はほとんど含まれていない。高温の火山性温泉には,水質汚濁防止法の許容限度0.5ppmを超すヒ素を含むものもあるので,飲用には注意を要する。
→熱水鉱床
地球上に噴出する火山物質の75%が海底火山からの産物である。したがって海底にも温泉があってもよい。アメリカの深海潜水船アルビンを用いて1977年からガラパゴス海嶺,東太平洋海膨北緯21°地点(カリフォルニア湾口)などの海底調査が行われた。79年夏,カリフォルニア湾口水深2700mの地点で海底から突き出した煙突状のパイプから激しく黒煙状に熱水が噴出しているのが発見された。泉温は350℃から400℃で,煙突は亜鉛,銅,鉛,銀の硫化物であった。このような煙突は東太平洋海膨の中軸に沿って,数kmにもわたり,直線状に配列していた。日本の第三紀中新世の海底で形成された銅,鉛,亜鉛,銀の硫化物鉱床(黒鉱鉱床)の成因を解く鍵となるものとして注目されている。深海底は水温2℃の暗黒の海底であるが,温泉噴出口周囲の水温13℃程度の暖かい海底に大きさ30cmほどの二枚貝,盲目のカニ,クラゲ,長さ4~5mの巨大な触手をもつ環形動物が群生していた。ガラパゴス海嶺でも1977年に温泉の湧出口周辺に多数の生物が発見されている。1966年紅海の中央部の最も深い所(水深2000m)で水温56℃,海水の7倍の塩分(261g/kg)を含む高温濃厚塩水塊が発見された。鉄,マンガン,銅,鉛,亜鉛は通常の海水中の数百~数千倍程度濃集していて注目されている。また,鹿児島湾北部福山沖の深さ200mの海底に200℃程度の熱水の噴出口が見いだされている。多量の二酸化炭素が酸性泉とともに噴出し,付近の泥質にはヒ素,アンチモン,水銀が濃集していた。日本近海では,小笠原火山島弧西側海底の高地殻熱流量地帯に海底温泉が発見されるものと期待されている。
酸性泉,硫化水素泉などが大量に湧出し,河川に流入すると河川中の動植物の発育を阻害し,河川の農業用の利用もだめになるので温泉毒水と呼ばれている。草津温泉では毎分5000lの硫酸酸性泉(pH1.5)が湯川となって吾妻川に流入し,このため上流で中性であった河川水のpHは3~4に低下し,農業,漁業,治山治水事業,水力発電に障害を与えていた。現在では1日約90tの石灰岩を投入し,毒水の中和が行われている。玉川温泉(秋田県)では98℃の含硫化水素酸性泉が毎分8000l湧出し,玉川毒水と呼ばれて徳川時代から対策が講ぜられてきたが,まだ草津のような中和事業を行うにはいたっていない。また,硫化水素を含む温泉でときたま硫化水素中毒による死亡事故がおきている。
温泉の変動から地震を予知する方法はまだ確立されていないが,以下のような明瞭な前兆現象が観測されている。1923年9月1日に発生した関東大地震(M7.9)では静岡県熱海の大湯間欠泉に明瞭な前兆があったことが知られている。大湯間欠泉は1922年12月20日からまったく噴出を停止した。翌年になって5月8日と9日に噴出,しかし再び停止し,ようやく6月28日から毎日1回噴出を繰り返すようになり,しだいに噴出時間が長くなった。8月31日は40分にわたり噴出し続けた。その翌日が関東大地震となった。熱海に接する伊豆山温泉では9月1日の朝,温泉温度が異常上昇し,多量の水を注がなければ入浴できなかった。伊豆古奈温泉は地震前に白濁した。箱根の堂ヶ島温泉では9月1日午前6時ころに温泉が泥濁し,入浴中身体が見えなくなるほどであった。このように関東大地震の前兆が温泉に現れていた。四国道後温泉は1707年宝永南海地震(M8.4),1854年安政南海地震(M8.4)に際し,湧出が停止した。地震とほぼ同時に温泉の湧出が停止したり,あるいは逆に湧出量が増加,白濁する例はいくつもある。1978年1月14日の伊豆大島近海地震(M7.0)では,かねてから泉温を0.1℃の精度で毎日測定していた伊豆宇佐美温泉で,地震15日前より0.5~0.7℃の前兆異常上昇が観測されている。
執筆者:大木 靖衛
温泉には,歴史的に聖水-聖泉信仰と心身にかんする治療信仰が結びつき,そこからさまざまな伝説や伝承が生みだされた。
第1にインドの事例をあげると,ラージャグリハ(王舎城)には釈迦も入浴したと伝える温泉が現存しているが,入浴者はかならず下着をつけて湯につかり,セッケンなどを用いて身体を洗浄してはいけないしきたりになっている。温泉は心を清浄にするところであって肉体を清めるところではないとされているからである。その行為は,敬虔なヒンドゥー教徒がガンジス川で沐浴し寺院のそばの池の水で身を清めるのと同様の象徴的な意味をもっている。
第2に日本の事例をあげると,紀州熊野の湯ノ峰温泉は熊野もうでの巡礼が最後にたどりつくべき聖泉であった。餓鬼身の小栗判官が照手姫に伴われて湯ノ峰の湯壺に身をひたすと,熊野権現があらわれその霊験によって五体が元通りになったという話はよく知られている。この温泉による霊験は,熊野参詣者が熊野川の水で身を清めてから本宮に参拝する儀礼行為と対応しているのであろう。同様に東北最北端の恐山は死霊の集まる霊山とされているが,その宇曾利山湖の周辺には強烈な臭気を発する硫黄泉が噴出し,参詣者の心身をいやす温泉場が設けられている。また出羽三山の一角を占める湯殿山でも,山頂にある神体の大石からは熱泉があふれ,登拝者は裸足をひたして心身のよみがえりを祈る。一般に日本には禊祓の伝統があり,それによって罪やけがれを払うとする観念があったが,温泉による蘇生の観念もそのような伝承と結びつき,とくに治病効果がつよく期待されたのである。
第3に,日本の古代文献に温泉にかんする記事が多くでてくることをあげなければならない。《出雲国風土記》には,出雲の国造が朝廷に賀詞を奏上するため出発するにさいして温泉で湯あみをしたことを伝え,《日本書紀》では有馬,伊予,牟漏などの温泉の名をあげている。同じく《日本書紀》や,また《万葉集》や《続日本紀》によると欽明,舒明,斉明,天智,天武,持統などの天皇がそれらの温泉地に行幸したという。それがたんなる慰安の旅にとどまるものでなかったことは,たとえば新嘗祭や大嘗祭において天皇が廻立殿で湯あみをするならわしであったこととくらべるとき明らかになる。神と共饗共寝するこの宮廷儀礼では,天皇は湯に入ることによって禊祓をし新たな心身状態へのよみがえりを準備しなければならなかったからである。同様のことは今日,民間の新嘗祭として知られる能登半島のアエノコトの行事においてもみられる。これは秋の収穫のあと田の神を家にみちびいてまつり,神饌を供して共食する神事であるが,このとき司祭者としての家の主人は田の神を湯殿に案内して湯あみをさせる。大嘗祭では天皇が湯に入るのにたいしてアエノコト神事では神が入浴するところが異なっているが,神人共食という神聖な場面において湯殿(人工的に模倣された温泉)が重要な役割をはたしているのは,温泉の意味を考えるうえで注意すべきである。
第4に,西ヨーロッパの温泉は一般に娯楽的な保養地としての性格がつよいが,聖なる泉を飲み,浴びることによって生命のよみがえりを願うという聖水-聖泉信仰は西ヨーロッパにもみられる。たとえばフランスのシャルトルは中世期にはヨーロッパ最大の巡礼地であり,その地の大聖堂の真下には病者の心身をいやす泉があふれていた。またスペインとの国境沿いにあるルルドは1世紀ほど前にマリアの降臨という奇跡によって聖地になったところだが,そこにわき出る聖水はルルドの泉として知られ,巡礼者によって飲料・沐浴用に利用されている。これらの聖地の泉は必ずしも温泉とはいえないが,しかし熱湯浴を好む日本人と違って微湯浴を好む西欧人にとって,聖地における泉信仰はその心身治療的な機能において日本の温泉療法と類似する点のあることに注目すべきである。
最後に,温泉にかんする民俗伝承についていえば,各地の温泉が鳥獣,高僧,英雄,神仏などによって発見されたとする話が多くみられる。たとえば熊の湯や鷺の湯として知られるのがそれで,そのほか長野県の鹿教湯(かけゆ)はシカ,静岡県の伊東はイノシシ,長野県の野沢はクマ,岐阜県の平湯はサル,山形県の湯田川や佐賀県の武雄はシラサギによって発見されたといわれる。また吾妻,修善寺などが空海によって,草津,山中,東山などが行基によって,五色,伊豆山などが役行者(えんのぎようじや)によって,そして飯野,別府,湯沢が日本武尊によって発見されたという。また神仏のみちびきによるとするのは,岐阜県下呂の瑠璃光如来,山口県湯田の薬師仏,青森県大鰐の観世音菩薩,熱海や道後の少彦名命など,その例は多い。このほか温泉そのものを神体として,神社に湯とか温泉の名をそのままつけた例もある。
執筆者:山折 哲雄
《抱朴子》が温谷の湯泉を人間の常識をこえたものの比喩のひとつにとりあげているように,温泉はつねに中国人によって神秘視された。温谷とは《山海経(せんがいきよう)》にあらわれる温源谷ないし湯谷であって,そこは太陽が登るところであるという。〈温泉は水滑(なめ)らかにして凝脂に洗(そそ)ぐ〉と《長恨歌》にうたわれた唐の玄宗と楊貴妃のロマンスにいろどられる華清池の温泉も,がんらい秦の始皇帝と神女がたわむれていたとき,始皇帝がいたずらをすると神女がつばを吐きかけて瘡(かさ)を生じ,あやまったところただちに温泉を湧出させたという伝説を伴う。六朝時代以後にさかんに制作された地方志には温泉にかんする記述がすくなくない。それらには病気治療の効果や煮たきの力が特記されているのはもとよりのこと,例えば棗陽(そうよう)(湖北省棗陽県)では温泉の水を灌漑に利用して1年に3度の収穫をえたと伝えられている。
執筆者:吉川 忠夫
温泉はもっぱら療養に利用されている。温泉療養所は広い公園に囲まれた豪華な建物で,自然の美しさを最大限に保存・利用した夏の保養地でもあるため別荘が多く,ホテル,劇場などの施設も整えられている。ヨーロッパに温泉療法が広まったのはローマ帝国の支配によるもので,ゲルマン人の侵入とキリスト教の影響で温泉療法は一時衰退したが,イタリア戦争や宗教戦争に際して傷病者に対する医療効果の大きいことが再認識され,18~19世紀にかけて発展した。温泉療養は金と時間がかかるので,湯治に行くのは上流階級のみであったが,今日では,社会保険の適用によって,多くの人々が療養を受けることができる。治療は温泉医の指導の下で飲用を主とし,期間は2~3週間。年間の患者数はソ連600万,西ドイツ200万,イタリア150万,フランス52万といわれている(1975)。ヨーロッパの有名な温泉場としてはマツェスタ(ロシア,黒海沿岸ソチ地区),バーデン・バーデン(ドイツ),カルロビ・バリ(チェコスロバキア),エクス・レ・バン(フランス)などがある。なお,入湯の習俗については〈風呂〉の項を参照されたい。
執筆者:大山 正雄
古代から日本人は温泉を利用してきたので,温泉の湧出地には集落ができることが多く,熱海や別府のように都市に成長した例もある。湯治は江戸時代に入ってからとくに盛んになり,庶民の間には掛金を積みたて,団体で湯治場に出かける湯入講があった。したがって温泉集落には,湯治客の来遊範囲である〈入湯圏〉がだいたい固定していた。例えば,長野県野沢温泉では周辺地域からだけではなく,峠を越えて遠く新潟県中頸城地方にまで入湯圏が伸びていた。江戸末期から明治初期にかけての,ノザワナの栽培地域と湯治客の地理的分布がほぼ一致していたのは興味深い。この入湯圏は今日では大きく変化している。第2次世界大戦前までは,一般に湯治の季節は春から秋までで,冬の湯治客は少なかった。そこで標高の高いところの温泉集落は,冬季には積雪のためもあって営業しないところも多かった。草津温泉は明治初期までは春から秋まで営業する季節的温泉集落であり,住民は冬季間ふもとの村に移り住んだ。これを人々は〈冬住み〉といった。また志賀高原には大正期まで2軒の季節的温泉宿しかなかった。これらはいずれも冬季にはふもとの母村に下山していたが,昭和初期にスキーが導入されると,冬季でも宿泊客があり,定住温泉集落に成長した。なお,温泉集落のうち温泉利用効果が十分期待でき,かつ静かで,健全な保養地として大いに活用される場として,国民保養温泉地が全国に91ヵ所(2008)ある。
執筆者:白坂 蕃
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…但馬国二方郡(現,兵庫県美方郡温泉町)の荘園。この地はもと国領温泉郷で,その本領主は平季盛であったが,1139年(保延5)子の季広が跡を継ぎ,これを法橋聖顕に寄進した。…
…比叡山や高野山はもとより,大山(だいせん),白山,英彦山(ひこさん),石鎚山などの霊山も数多くの縁起や霊験説話を生みだした。そしてその聖なる中心点にはしばしば聖なる泉がわき,温泉が噴き出ている。業病を背負う巡礼者はその聖なる泉にわが身をひたして加護を祈り,聖水を飲みほして精神の安らぎを求め,またそれを眼や脚に注いで患部の蘇生を祈願した。…
※「温泉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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