今堀 誠二(読み)イマホリ セイジ

20世紀日本人名事典 「今堀 誠二」の解説

今堀 誠二
イマホリ セイジ

昭和・平成期の東洋史学者 広島大学名誉教授;広島女子大学名誉教授。



生年
大正3(1914)年10月27日

没年
平成4(1992)年10月9日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
広島文理科大学史学科〔昭和14年〕卒

学位〔年〕
文学博士

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞(第70回)〔昭和55年〕「中国封建社会の構造―その歴史と革命前夜の現実」,勲二等瑞宝章〔昭和63年〕

経歴
昭和14年広島文理大副手となり、18年講師、20年助教授、26年広島大教授、47年教養部長を歴任。その後、52〜62年広島女子大学長を務めた。著書は三部作「中国封建社会の機構」「中国封建社会の構造」「中国封建社会の構成」をはじめ、「毛沢東研究序説」「中国現代史研究序説」「原水爆禁止運動」「中国の民衆権力」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「今堀 誠二」の意味・わかりやすい解説

今堀誠二
いまほりせいじ
(1914―1992)

東洋史学者。大阪府生まれ。1939年(昭和14)広島文理科大学(現広島大学)史学科卒業。その後、中国、北京(ペキン)師範大学講師となり、中国の封建社会制度の研究を進める。1951年広島大学教授、のち広島女子大学(現、県立広島大学)学長となる。1949年広島平和擁護大会議長につき、原水爆禁止運動を積極的に推し進め、同運動の理論的指導者として、原爆の実態調査や広島大学平和科学センターの設立に尽力した。著書に『中国封建社会の機構』『原水爆時代』『毛沢東研究序説』『中国封建社会の構造』などがある。1992年10月9日没。

[編集部]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今堀 誠二」の解説

今堀誠二 いまほり-せいじ

1914-1992 昭和-平成時代の東洋史学者,平和運動家。
大正3年10月27日生まれ。今堀宏三,今堀和友の兄。昭和14年北京師範大の講師,26年広島大教授,のち広島女子大学長。中国社会・民衆生活を研究。原水爆禁止運動の理論的指導者で,原爆被害の追跡調査につくした。55年「中国封建社会の構造」で学士院賞。平成4年10月9日死去。77歳。大阪出身。広島文理大(現広島大)卒。

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367日誕生日大事典 「今堀 誠二」の解説

今堀 誠二 (いまほり せいじ)

生年月日:1914年10月27日
昭和時代;平成時代の東洋史学者;平和運動家。広島大学教授;広島女子大学長
1992年没

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