保福寺峠・保福寺道(読み)ほうふくじとうげ・ほうふくじみち

日本歴史地名大系 「保福寺峠・保福寺道」の解説

保福寺峠・保福寺道
ほうふくじとうげ・ほうふくじみち

保福寺峠は、松本市と上田市のほぼ中間にあって、古代から中世近世にかけて筑摩郡と小県ちいさがた郡を結ぶ重要な峠であった。峠は保福寺町村(現四賀村)田沢たざわ(現小県郡青木村)の境、保福寺山の北の尾根にあり、標高一三四五メートル。

道は、東は小県郡大明神だいみようじん(一二三二メートル)の東の谷を北に下り、更に奈良本ならもと沓掛くつかけと下って青木あおき村から浦野うらのを経て上田市に達した。西は峠の下の錦部にしきべの保福寺宿から稲倉ひなぐら峠を越えて岡田おかだ・松本へと通じている。この通路は古代の東山道の峠越えの道で、筑摩つかま郡の覚志かがし錦服にしごり小県郡の浦野・亘理わたりと通じていた道である。「万葉集」に、

<資料は省略されています>

とある信濃路の墾道はこの峠道である。この歌の成立した奈良時代には、木曾は美濃国で信濃ではなく、信濃路とは信濃の国の中を通る道のことであり、木曾路は木曾を通る道であるから美濃路であったわけである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報