大井 広介(読み)オオイ ヒロスケ

20世紀日本人名事典 「大井 広介」の解説

大井 広介
オオイ ヒロスケ

昭和期の評論家



生年
大正1(1912)年12月16日

没年
昭和51(1976)年12月4日

出生地
福岡県

本名
麻生 賀一郎

学歴〔年〕
嘉穂中学校卒

経歴
昭和14年文芸同人誌「槐」を創刊、15年「現代文学」と改め、平野謙、荒正人、佐々木基一、杉山英樹らを加え、文芸時評を執筆しながら昭和10年代を代表する文芸同人誌に育てた。戦前戦後の評論集に「芸術構想」「文学者の革命実行力」などがあり、戦後はゴシップ的方法による社会批判、人物論を書いた。また異色の野球評論「プロ野球騒動史」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「大井 広介」の意味・わかりやすい解説

大井広介【おおいひろすけ】

評論家。福岡県生れ。本名,麻生(あそう)賀一郎。嘉穂中学卒。1930年,上京し,《人民文庫》系の《槐(えんじゅ)》に参加したが,1939年,《槐》廃刊,人民文庫系の人々と決別し,平野謙らと《現代文学》創刊。文芸時評を執筆した。1940年,書き下ろしで《芸術の構想》刊行。時局便乗文学と左翼公式主義の双方を批判し,独自の立場をとった。この姿勢は戦後も一貫し,日本共産党批判《左翼天皇制》(1956年)などにその面目があらわれている。ほかに《文学者の革命実行力》《プロ野球騒動史》《ちゃんばら芸術史》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大井 広介」の解説

大井広介 おおい-ひろすけ

1912-1976 昭和時代の評論家。
大正元年12月16日生まれ。昭和14年平野謙,小熊秀雄らと「現代文学」を創刊。戦後は,党派に属さぬ評論活動を展開。また異色の野球評論家で「プロ野球騒動史」がある。昭和51年12月4日死去。63歳。福岡県出身。嘉穂(かほ)中学卒。本名は麻生賀一郎。著作に「文学者の革命実行力」「左翼天皇制」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大井 広介」の解説

大井 広介 (おおい ひろすけ)

生年月日:1912年12月16日
昭和時代の評論家
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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