佐々木基一(読み)ササキキイチ

デジタル大辞泉 「佐々木基一」の意味・読み・例文・類語

ささき‐きいち【佐々木基一】

[1914~1993]評論家広島の生まれ。本名、永井善次郎。第二次大戦後文芸前衛芸術映像文化など幅広い分野の評論活動に活躍。雑誌近代文学創刊に参加。著作に「私のチェーホフ」「個性復興」「リアリズムの探求」「革命と芸術」「映像論」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木基一」の意味・わかりやすい解説

佐々木基一
ささききいち
(1914―1993)

評論家、小説家。本名永井善次郎。姉は作家の原民喜(たみき)夫人。広島県に生まれる。東京帝国大学美学科卒業。在学中から評論を発表するが、1944年(昭和19)治安維持法違反に問われる。46年、荒正人(あらまさひと)らと『近代文学』を創刊。文芸学とマルクス主義文学論を学んだ体験と反省に基づいた評論集『個性復興』(1948)以来、『リアリズム探求』(1953)、『革命芸術』(1958)などを刊行、文学と政治の関係を、言語芸術の尊厳ということを基調に新たな視点を提示した。また、20世紀の芸術の特徴的な傾向の一つを事実への接近とみて、『現代の映画』(1958)、『現代芸術はどうなるか』『テレビ芸術』(ともに1959)、『映像論』(1971)など、記録芸術への新しい表現と伝達方法の開拓にも意欲を示した。小説集に『鎮魂――小説阿佐谷(あさがや)六丁目』(1980)などがある。

[古木春哉]

『『現代日本文学体系96 文芸評論集』(1973・筑摩書房)』

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百科事典マイペディア 「佐々木基一」の意味・わかりやすい解説

佐々木基一【ささききいち】

評論家,小説家。本名永井善次郎。広島県生れ。1924年東京帝大卒業。在学中から,荒正人平野謙らと交流。卒業後は,《映画評論》《構想》《現代文学》などさまざまな雑誌にかかわる。戦後は《近代文学》同人および新日本文学会会員として外国文学から映画評論にいたる多彩な批評活動により特異な位置を占める。代表的な著作は《リアリズムの探求》《現代作家論》《映像論》,翻訳にバラージュ《映画の理論》など多数が,小説《停れる時の合間に》などがある。
→関連項目埴谷雄高

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「佐々木基一」の意味・わかりやすい解説

佐々木基一
ささききいち

[生]1914.11.30. 広島,本郷
[没]1993.4.25. 東京
文芸評論家。本名,永井善次郎。 1938年東京大学美学科卒業。在学中の 36年頃から荒正人,小田切秀雄と文芸学,マルクス主義文学論研究会を始め,第2次世界大戦後は『近代文学』に参加 (1946) 。『個性復興』 (48) ,『昭和文学論』 (54) などで文学のアクチュアリティを主張して戦後文学を推進し,かたわら「記録芸術の会」を結成 (59) して視聴覚文化への展開をも試みた。ほかに『現代作家論』 (66) ,『映像論』 (71) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木基一」の解説

佐々木基一 ささき-きいち

1914-1993 昭和-平成時代の評論家。
大正3年11月30日生まれ。「現代文学」同人をへて,昭和21年「近代文学」の創刊に参加。つづいて花田清輝らと「夜の会」を,野間宏らと「記録芸術の会」を結成し,文芸,前衛芸術,映像文化など多方面にわたる戦後芸術の評論に活躍した。平成2年「私のチェーホフ」で野間文芸賞。平成5年4月25日死去。78歳。広島県出身。東京帝大卒。本名は永井善次郎。著作はほかに「個性復興」「リアリズムの探求」「映像論」など。

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