大谷 光演(読み)オオタニ コウエン

20世紀日本人名事典 「大谷 光演」の解説

大谷 光演
オオタニ コウエン

明治〜昭和期の僧侶,俳人 真宗大谷派(東本願寺)第23世法主;伯爵



生年
明治8年2月27日(1875年)

没年
昭和18(1943)年2月6日

出生地
京都府京都市

別名
法号=彰如,俳名=大谷 句仏(オオタニ クブツ),雅号=春坡,蕪孫,愚峰

経歴
真宗大谷派第22世法主光瑩(現如)の二男。10歳で得度。明治33年まで東京で南条文雄、村上専精、井上円了らについて修学。同年5月仏骨奉迎正使として暹羅(タイ)訪問。34年6月真宗大谷派副管長、41年11月第23世法主を継ぎ、管長となった。44年宗祖650回遠忌を修したが、朝鮮で鉱山事業に失敗、昭和2年管長を退いた。大正12年伯爵。書画、俳句をよくし、明治31年「ホトトギス」により高浜虚子、河東碧梧桐選評を乞うた。大正3年以降は雑誌「懸葵」を主宰。句集「夢の跡」「我は我」「句仏句集」などがある。書は杉山三郎に師事、絵画は幸野棋嶺、竹内栖鳳に学んだ。画集「余事画冊」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大谷 光演」の解説

大谷光演 おおたに-こうえん

1875-1943 明治-昭和時代前期の僧。
明治8年2月27日生まれ。大谷光瑩(こうえい)の次男。明治41年真宗大谷派23世となる。鉱山事業に失敗して,大正14年長男大谷光暢(こうちょう)に法主をゆずった。俳人としても知られ,句誌「懸葵(かけあおい)」を主宰した。昭和18年2月6日死去。69歳。京都出身。法名は彰如。号は愚峰。俳号は句仏。句集に「夢の跡」「我は我」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大谷 光演」の解説

大谷 光演 (おおたに こうえん)

生年月日:1875年2月27日
明治時代-昭和時代の真宗大谷派僧侶。本願寺23代法主
1943年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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