明治仏教学界の先達とされる真宗大谷派の学僧。岐阜県出身。1868年大谷派高倉学寮卒。76年よりイギリスのオックスフォード大学に留学,84年帰国。85年東京帝国大学梵語(サンスクリット)学講師,1914年大谷大学学長となる。留学中はF.M.ミュラー門下としてマクドーネルより梵語を修め,梵文仏典を研究。1883年《梵文大無量寿経・阿弥陀経》をミュラーと共同校訂,出版。原典の共同校訂に当たる間,梵文仏典校訂における漢訳本の重要性を西欧学界に知らせたことは大きな功績とされる。さらに《Saddhannapuṇḍarīka-sūtra(梵文法華経)》(1908-12。ケルンと共同校訂),《Laṅkāvatāra-sūtra(梵文入楞伽経(にゆうりようがきよう))》(1923),《Suvarṇaprabhāsa-sūtra(梵文金光明最勝王経)》(1931)を校訂。また精確な学術用の漢訳大蔵経解題の書,《A Catalogue of the Chinese Translation of the Buddhist Tripiṭaka,the Sacred Canon of the Buddhist in China and Japan(英文明蔵目録)》(南条目録。1883)も重要な業績である。
執筆者:高橋 明
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真宗大谷(おおたに)派の僧侶(そうりょ)。サンスクリット語による仏典研究に力を尽くす。岐阜県大垣(おおがき)の誓運寺(せいうんじ)に生まれ、1871年(明治4)福井県南条郡の憶念寺(おくねんじ)南条神興(じんこう)(1841―1887)の養子となる。1868年、大谷派の高倉(たかくら)学寮に入学。1876年にはイギリスに留学し、マックス・ミュラーに師事してサンスクリット語学を学び、1884年に帰国。東京大学講師、真宗大学(大谷大学の前身)教授などを歴任し、1914年(大正3)から1923年まで大谷大学の第2代学長を務めた。多くの研究業績があるが、留学中にオックスフォードで刊行した『大明三蔵聖教(たいみんさんぞうしょうぎょう)目録』A Catalogue of the Chinese Translation of the Buddhist Tripitaka(1883)は、「南条目録」として著名。その経歴は『懐旧録』(自叙伝)に詳しい。
[北西 弘 2017年9月19日]
『『懐旧録』(平凡社・東洋文庫)』
明治・大正期の梵語学者,僧侶 大谷大学学長。
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…また,セナールÉ.C.Sénart(1847‐1928),レビS.Lévi(1863‐1935),ド・ラ・バレ・プッサンL.de la Vallée Poussin(1869‐1937)らが仏教研究に果たした貢献も大きい。 日本においては,オックスフォード大学のミュラーに師事した南条文雄が,1885年東京大学において梵語学を開講し,近代的インド学,仏教学の端緒を開いた。1901年,東京大学に梵語学の講座が創設され,同じくミュラー門下の高楠順次郎が初代教授となり,その門下に逸材が輩出した。…
※「南条文雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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