康徳寺(読み)こうとくじ

日本歴史地名大系 「康徳寺」の解説

康徳寺
こうとくじ

[現在地名]世羅町寺町

寺町てらまちの北部に連なる山間部南端の山麓に位置。瑞田山と号し、臨済宗仏通寺派。本尊釈迦如来。境内に薬師堂・毘沙門堂がある。門前康徳寺古墳康徳寺廃寺跡があり、古代・中世の世羅郡内の豪族の拠点の一つと考えられるが、当寺との関連は不明。

寺伝によれば応安元年(一三六八)の創立とされ、「芸藩通志」には貞治四年(一三六五)建立で、鎌倉円覚寺三九世になった石室善玖開基、備後禅林第一の寺であったが、元和(一六一五―二四)頃より小寺になると記す。また寺町内に一二坊があり、西福寺さいふくじなどの地名が残っており、堀越ほりこしにあった万福まんぷく寺は当寺の隠居寺という。天正一〇年(一五八二)六月八日の毛利輝元書状(長府毛利文書)により、当寺に末寺があったこと、今高野山いまこうやさん(跡地は現甲山町)の上原氏の領内に含まれていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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