手塚 猛昌(読み)テヅカ タケマサ

20世紀日本人名事典 「手塚 猛昌」の解説

手塚 猛昌
テヅカ タケマサ

明治〜昭和期の実業家



生年
嘉永6年11月22日(1853年)

没年
昭和7(1932)年3月1日

出生地
長門国阿武郡須佐村(山口県)

旧姓(旧名)
岡部

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
神職を務めた後、慶応義塾に学ぶ。明治27年庚寅新社「汽車汽船旅行案内」を編集・発行するが、これが今日の時刻表ルーツといわれる。一方、星亨らと東京市街鉄道を興す。39年東洋印刷を設立し社長、40年帝国劇場の創立にも参画。のち大阪で駸々堂を設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「手塚 猛昌」の解説

手塚猛昌 てづか-たけまさ

1853-1932 明治-昭和時代前期の実業家。
嘉永(かえい)6年11月22日生まれ。神職をつとめたのち,慶応義塾にまなぶ。明治27年「汽車汽船旅行案内」を発行。星亨(とおる)らと東京市街鉄道をおこし,39年東洋印刷を設立し社長。40年帝国劇場の創設にも参加した。昭和7年3月1日死去。80歳。長門(ながと)(山口県)出身本姓は岡部。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android