松廼家 露八(読み)マツノヤ ロハチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松廼家 露八」の解説

松廼家 露八
マツノヤ ロハチ


職業
幇間

本名
土肥 庄次郎

別名
前名=荻江 露八

生年月日
天保4年

出生地
江戸(東京都)

経歴
幕臣・土肥半蔵の長男に生まれる。槍術、剣術を修業、一橋家中で評判を得たが、遊びを覚え吉原に入りびたり、勘当される。幕末動乱のなかで荻江節師匠となり幇間として各地を放浪。明治元年の上野彰義隊の戦いには参加したが箱館戦争には加われず、結局吉原に戻り幇間となる。その際荻江節を松廼家節と呼びかえ、松廼家節の家元として鑑札を受ける。芸が巧みで、元彰義隊士ということからもてはやされ、薩長高官の前でたいこもちを続けた名物芸人。吉川英治「松のや露八」というモデル小説もある。

没年月日
明治36年 11月23日 (1903年)

伝記
彰義隊遺聞日本人の志―最後の幕臣たちの生と死 森 まゆみ 著片岡 紀明 著(発行元 新潮社光人社 ’04’96発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松廼家 露八」の解説

松廼家露八 まつのや-ろはち

1834*-1903 幕末-明治時代の幇間(ほうかん)。
天保(てんぽう)4年12月生まれ。一橋家臣土肥半蔵の長男。大坪流槍術(そうじゅつ)指南番の祖父新十郎に武術をまなぶ。遊蕩(ゆうとう)のため勘当され,江戸吉原の幇間となった。一時彰義隊にくわわり新政府軍とたたかったが,維新後吉原にもどる。明治36年11月23日死去。71歳。通称は庄次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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