美保郷(読み)みほごう

日本歴史地名大系 「美保郷」の解説

美保郷
みほごう

美保関町の東部地域を占めた中世郷。「出雲国風土記」および「和名抄」の島根郡に美保郷がある。また美保の地名は「古事記」に「御大之前」、「日本書紀」に「三穂之碕」としてみえる。中世は、古代の美保郷に加えて島根郡方結かたえ郷も含む地域で、美保関郷、たんに美保関とも称された。文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の一三番に「美保郷三十四丁一反百八十歩同人」とみえる。同人とは富田とだ(現広瀬町)塩冶えんや(現出雲市)と同じ信濃前司、すなわち出雲国守護佐々木泰清のことで、守護佐々木氏がこれらを領有するに至ったのは、承久の乱後に佐々木義清が佐々木氏として初めて出雲国守護に任命された時期までさかのぼると考えられる。南北朝初期と推定される二月三日の沙弥覚照書状(千家家文書)において、佐々木氏一族富田頼秀の子羽田井高泰は志津留伊しつるい南浦なんぽ片結かたえを除く美保郷を知行していると述べており、引続き佐々木塩冶氏一族が美保郷を領有していたことがわかる。


美保郷
みほごう

「和名抄」所載の郷。諸本とも訓を欠くが、ミホであろう。「出雲国風土記」によれば島根郡八郷の一つで、郡家の東二七里余に郷長の家があり、地名は御保須須美命が鎮座していたことに由来するという。この神を祀る美保社は「延喜式」神名帳に美保神社とあり、現美保関みほのせき町の美保神社に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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