日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
UKエイジアン・ミュージック
ゆーけーえいじあんみゅーじっく
UK Asian music
イギリスにおける南アジア系の人々の新しいポピュラー・ミュージックの動向を指す。同様な意味で使われるバングラ・ビート(インドからパキスタンにまたがるパンジャーブ地方のバングラと呼ばれるダンス音楽をシンセサイザーなどで再構築した音楽)が一つの音楽スタイルを指すジャンル用語であるのに対し、UKエイジアンはスタイルの多様化に対応する汎用的な用語である。
さまざまな新しいロックのスタイルを生み出してきたイギリスは、カリブ、アフリカ、インド、パキスタンなど世界各地の英語圏諸国からの移民およびその二世以降の世代の増加とともに、特に1980年代以降、多文化主義的な音楽文化を生み出す場所へと大きな変貌を遂げた。カルチュラル・スタディーズやワールド・ミュージック、イギリス人の父とジャマイカ人の母をもつ小説家ゼイディー・スミスZadie Smith(1975― )など新世代の文学の台頭といった現象も、そうした大きな変動のなかから生まれてきた。その歴史的な背景には、全世界に及んだイギリスの植民地主義がある。また、イギリスにおいてはアジア系までを含めて「ブラック」と呼ぶ傾向があったり、「黒人」のなかでも「アメリカ黒人」である「アフリカン・アメリカン」と差異化して「ブラック・ブリティッシュ」という呼称を用いたりすることがある。こうした人種・エスニシティのなかでUKエイジアンは、インドやパキスタンといった南アジア地域からの移民者とその二世以降の世代を指し、新世代がつくる音楽は多文化主義国家イギリスの複雑な状況を映し出していた。
UKエイジアンの代表的なミュージシャン、エイジアン・ダブ・ファウンデーション、ナターシャ・アトラスNatacha Atlasらは、90年代初頭に以下のようなマニフェストを打ち出したネイション・レーベルに集まった。「パンクと共に始まり、パンクと共に続いていく」と宣言し、そのコンセプトを「ワールド・フュージョン」と定め、「民族」のステレオタイプ化から逃避するため、「われわれはエスニックethnicでも、エキゾティックexoticでも、折衷主義eclecticでもない。我々の用いる唯一の『e』はエレクトリックである」。ネイション・レーベルが掲げたこのマニフェストのなかで、彼らは「インド人が誰でもタブラやシタールの音楽ばかりやるわけではない」とも主張しており、そのためUKエイジアン・ミュージックというエスニシティを冠した用語自体が妥当であるかどうかという問題もある。一方で、ミュージシャンたちはそうした父、祖父たちの「ホーム」の音楽を重要なエレメントとして取り入れる。
エイジアン・ダブ・ファウンデーションはその後、「コミュニティ・ミュージック」を掲げ、民族から階級の問題へと音楽の方向性をシフトしている。「テクノロジーはドラッグである」として新しい方向を模索するリミキサー、ニティン・ソーニーNitin Sawhney、ビョークの世界進出を演出したタルビン・シンTalvin Singhなどの豊かな才能がつぎつぎと登場している。
[東 琢磨]