多文化主義(読み)タブンカシュギ(その他表記)multiculturalism

デジタル大辞泉 「多文化主義」の意味・読み・例文・類語

たぶんか‐しゅぎ〔タブンクワ‐〕【多文化主義】

多様な人種・民族・社会的少数者の文化を尊重し、共存を図っていこうとする考え方

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「多文化主義」の意味・わかりやすい解説

多文化主義
たぶんかしゅぎ
multiculturalism

異なる民族(エスニック集団を含む)の文化を等しく尊重し、異なる民族の共存を積極的に図っていこうとする思想、運動、政策。ここでいう文化とは高尚な芸術だけをさすのではなく、人々の生活の様式全体をさしている。それは言語、文字、宗教、教育、育児、祭り、食習慣、着物、家屋、行儀、風習などに及ぶ。

 同じ地域や領土にさまざまな民族の人々が生きていることは、世界中でごく普通のことである。これらの人々の間では、言語、文字、宗教、祭り、生活風習などが異なり、日常的な多少の争いはあるものの、ともに平和に暮らしている。その一般的方法はお互いの生活様式に干渉しないことや、地域的に棲(す)みわけることである。あるいは、支配的民族がほかの少数民族を同化することも、少数民族が分離独立することも一つの方法ではある。

[初瀬龍平]

同化政策と分離独立の問題点

同化政策は同化を強制される人々に精神的苦しみを与え、同化が完成するまでには数世代にもわたる非常に長い時間がかかる。少数民族の求める分離独立運動も、それを弾圧する民族との間での殺し合いへと発展してゆくことが少なくない。政治的独立は、抑圧される少数民族にとって希望の星ではあっても、現実には果てしなき闘争への道となる可能性が大きい。さらに、異なる民族が入れ子状に絡み合っている地域では、国全体としての少数民族も特定の地域では支配的多数者となり、その地域のなかでの少数民族を押さえ込む勢力となる。このように、これまで有力であった同化政策、分離独立運動にもそれぞれ大きな問題点があった。

[初瀬龍平]

多文化主義の展開

イギリスの植民地であったカナダオーストラリアでは、白人優位のもとでの同化主義が有力であった(オーストラリアでは白豪主義とよばれる)。しかし、カナダではケベック州でのフランス系住民の民族主義運動(ケベック問題)を契機として、1971年に国家の方針として多文化主義が宣言され、それはさらに1980年代には、アジア系を中心とする新しい移民を包み込む形での多文化主義政策へと発展した。また、オーストラリアでもカナダにならって1970年代に多文化主義政策が始まった。それは急増するアジア系移民への社会的対応であり、また周囲のアジア諸国との協力の必要という意味ももっていた。アメリカでは以前から同様の意味合いをもつ文化多元主義cultural pluralismが有力であったが、1990年代以降多文化主義という用語が使われだしている。スウェーデンなど北欧諸国、イギリス、フランス、オランダなど西欧諸国でも、多文化主義の発想が広まり、政策も展開されだしている。

 多文化主義政策では、教育、テレビ、放送、図書館などは多言語での提供が公的に支持される。たとえばイギリスの場合、学校の給食にイスラム教徒のハラール・ミート(宗教的儀式を経て処理された家畜の肉)など少数民族向けの食材が用意され、シク教徒ターバンイスラム教徒のスカーフといった民族独自の服飾が認められるなどの措置がとられる。また、より積極的な多文化主義政策といえるアメリカにおけるアファーマティブ・アクションaffirmative action(積極的差別是正策)では、大学入学時や職員採用時に少数民族出身者に対して人口比による優先的配慮を行うなどしてきた。

 多文化主義はすべての文化の価値を等しく認めるものではない。それは、ナチズムアパルトヘイトなどの人権を無視、抑圧する文化を認めていない。それはまた、国家の統合を否定する民族独立運動を承認するものではない。多文化主義とは国家の統合の枠を前提としており、そのなかでの人権を伸長しようとするものであり、その限りにおいて民族集団の多様な価値と文化を推進するものである。

[初瀬龍平]

内在する問題

多文化主義に内在する最大の問題は、多文化保障の単位を集団と個人のどちらに置くかにある。前者に置く場合は、民族的要求(民族運動)を盛り立てていく効果は大きいが、しばしば長老支配的、男性支配的である古い伝統に引きずられることとなる。後者に置く場合は近代世界での人権は保障されるものの、運動としての性格は人権運動一般との差がつかなくなる。

[初瀬龍平]

『梶田孝道著『ヨーロッパとイスラム』(1993・有信堂)』『初瀬龍平編著『エスニシティと多文化主義』(1996・同文舘出版)』『油井大三郎、遠藤泰生著『多文化主義とアメリカ』(1999・東京大学出版会)』

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百科事典マイペディア 「多文化主義」の意味・わかりやすい解説

多文化主義【たぶんかしゅぎ】

multiculturalismの訳。〈文化的多元主義cultural pluralism〉とも。一社会に複数の文化が対等な関係で共存することをよしとする考え方。多民族国家における民族間関係の一モデルでもある。米国の〈融和〉論(メルティング・ポット論)は,少数者は支配的な文化へ同化すべきだという〈同化〉論に比べ民主的ではあったが,現実には各民族が独自のアイデンティティに固執し,融和は望み薄に見えた。この認識を受けて台頭したのが,サラダ・ボウル論とも呼ばれる多文化主義で,各民族の文化の独自性を尊重し,民族間の平等と協調を唱える。多文化主義に基づく社会の実現には文化相対主義が要請されるが,これが普遍的とされる理念(人権など)といかに両立しうるかについては議論がある。
→関連項目カナダ少数民族多文化社会

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多文化主義」の意味・わかりやすい解説

多文化主義[カナダ]
たぶんかしゅぎ[カナダ]
Multi-Culturalism

1971年 10月カナダの P.トルドー首相が,文化,教育政策の基盤として採用することを明らかにした原則。具体的にはカナダを構成する多様な民族 (先住民のインディアン,イヌイットから,多数民族のイギリス系,少数民族のフランス系,その他のヨーロッパ系,アジア系など) のそれぞれの言語,文化を尊重し,その維持と発展を奨励するために積極的な政策的措置を講じようとしたもの。これに基づいて,72年 11月には多文化主義の促進に責任を負う国務相のポストが設けられ,カナダのあらゆる民族を代表する 100人から成る諮問委員会の協力を得て,多文化国家カナダの実現をはかることになった。少数民族の言語教育への援助,少数民族のカナダにおける歴史研究のための特別計画,国立映画制作局による文化映画の制作などの事業が進められている。

多文化主義
たぶんかしゅぎ
Multiculturalism

マルチ・カルチュラリズムともいう。さまざまな人種,民族,階層がそれぞれの独自性を保ちながら,他者のそれも積極的に容認し共存していこうという考え方,立場。「人種のるつぼ」的な同化主義に対抗する考え方で,カナダでは 1971年に政策の基本方針と定められ,88年には世界初の多文化主義法が制定された。アメリカでも 84年の大統領予備選で民主党のジェシー・ジャクソン牧師が提唱した「虹の連合」が多文化主義に立つものとして注目された。

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