出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…《説文解字》に記されている籀文(ちゆうぶん)もこの系統であるといわれる。籀文はまた大篆(だいてん)という。秦の始皇帝は天下を統一すると,文字の統一をはかり,新しい字体を制定した。…
…これによって百家争鳴と称され文化的には栄えた戦国諸国に存在したであろうさまざまな文字はすべて廃され,さらに断行された焚書坑儒(ふんしよこうじゆ)によってそれを伝える学者も書物もほぼ滅んだ。その結果,秦を中心とする西方に伝わっていた大篆(だいてん)を整理くふうして作られた小篆一色に統一され,以後の書体の変遷はすべてこれから派生したものなのである。ただ,このときいったん滅びた文字も,ひそかに壁に塗りこめられたりして難を逃れたものが,前漢の武帝(在位,前140‐前87)のころから再び世にあらわれた。…
…配列の順序は〈一〉の次は〈二〉,その次は〈示〉というように,字形上の連鎖感を配慮しながら,また十二支所属の文字が最後にまとめて置かれるなど,当時中国で普通に人のいだいていた宇宙構成に関する思考をも重ね合わせて決められたものである。当時最も公式の字体であった〈小篆(しようてん)〉を親字に,最古の字体で小篆などの祖であると信ぜられていた〈古文〉,それにおくれ,やや変改を受けたものとされていた〈大篆〉すなわち〈籀文(ちゆうぶん)〉,以上2種類の字体が,親字である小篆の字体と異なるときには〈重文〉すなわち重複の文字として付録した。親字の小篆の数9353字,重文は1163字。…
…したがって古代の中国人たとえば《説文解字》の著者許慎なども,はじめに作られた文字は画数の多い〈古文〉であったが,のち文字によっては簡略化され,筆画の少なくなったものが出て来て〈古文〉とは形がちがってくる。それが〈大篆(だいてん)〉あるいは〈籀文(ちゆうぶん)〉であり,日常業務の要求から簡略化が進み〈籀文〉からさえも離れてきたとき,それが〈小篆〉になった,と考えたのである。 許慎の考えたこの道すじは必ずしもそのまま歴史事実ではなく,むしろ後代の文字が前代の文字に比べ機能の分化その他さまざまの理由から,かえって煩瑣(はんさ)の度を加える場合もあり,〈古文〉〈籀文〉などはかえって後代発生の文字だという王国維の考えもあることを考えて,さきにも〈概していえば〉という表現を用いることが適当だと考えたのである。…
※「大篆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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